大切な人を支えるために出来ること・リーフレット⑨ 2022/06/05
- hyggeinfo
- 2022年6月5日
- 読了時間: 24分
更新日:2023年7月31日
本当のリーフレットには絵や写真は一切ありません。I が勝手に入れています。
恋人やグッティ(配偶者)のためのガイド
<性的暴行を受けた後のセックスについて>
性的暴行を受けた後、セックスについて心配するのは自然なことです。
パートナーとあなたの双方が 性的暴行後 二人の性生活は どのような影響を受けてしまうのかと不安に感じているかもしれません。
あなたはパートナーとして、おそらく一生懸命 その影響を理解しようとし、ベストな方法をとることのみを 望んでいます。
しかし、何が本当にベストなのか 見当がつきません。

たしかに性的暴行・性的虐待は、セックスの喜びを台無しにしてしまいます。
しかし、性的暴行・性的虐待があったからと言って、セックスによる喜びが 再び訪れないわけではありません。
<性科学カウンセリング>
残念ながら、性的暴行を受けた後、パートナー同士の性交渉で問題が起こることは 珍しいことでは ありません。
そのため、レイプ被害者センターではカップル向け・個人向けの 両方のカウンセリングを行っています。
もし、被害後に、お二人の間に何らかの問題がありましたら、センターは被害者の彼女・彼男(彼氏のこと)を歓迎し、カウンセリング致します。
ご連絡ください。
<相談例>
・性欲がなくなったことの相談
・成功時の痛みについての相談
・オーガズムを得られなくなった等の相談
<性欲の無さ>
(被害に遭った)あなたのパートナーは、性欲が湧かない時期を経験しているかもしれません。
セックスへの要求・自慰行為の要求 共に 無くなることがあります。
中には、性的暴行・性的虐待の記憶を呼び起こすことへの恐怖心から、セックスに対して明らかな不安を感じている人もいます。
またある人は、性行為のうち、一つなら可能な人もいます。
例えば、セックスはしたいけれど、オーラルセックス(口を使った行為)はしたくないというようなことです。
<パートナーとしてあなたが出来ること>
・被害者であるパートナーが準備できるまで待つこと。セックスを強要しないこと。
・「(パートナーが)準備が出来るまで自分は待って良い」ときちんと伝えること。
・セックス中に被害者であるパートナーが嫌な気持ち・不安を感じたら、行為をストップして話し合うようにすること。
行為を始める前に「行為中いつでも、やめて良いよ」とパートナーにきちんと伝えること。
(被害があるなしに関わらず)一般的には パートナーは、セックスについて、何がしたいか、何をやりたくないかを お互いに話し合うことが大切です。
そうすることで、安心感が生まれ、リラックスしやすくなるのです。
<逆にあなたが、セックスをしたくない場合>

・性的暴行・性的虐待を思い出させることを、恐れる
・性的暴行時の画像や映像に、悩まされる
・性的暴行によって、パートナーが浮気をしたと感じる
これらは全て、性欲を減退させるものです。
これらは 正常な反応ですから、無理をしないことが大切です。
パートナーに "自分には少し時間が必要な事" を伝えてください。
そのとき、被害者であるパートナーに遠慮なく話していいのですが、以下の2つは言ってはいけません。
・被害者がセクシーではなくなったと伝える(←言ってはいけません)
・性的暴行・性的虐待なんて、本当はなかったのではないかと伝える(←言ってはいけません)

〔(ボーイフレンド) ソーレンの言葉〕
パートナーの被害を知って、僕に最初に訪れた心理反応は 大きな怒りと嫌悪感でした。
当初は、その怒りと嫌悪感が加害者に向けられたものだったのに、その後 恋人のトラインの方に向けてしまいました。
<パートナーとして、何が出来るのか>
物理的・心理的に密接な接触を心がける
物理的、心理的に密接な結びつきと 安心が得られれば、欲望(性欲)を呼び起こすことがあります。
(被害により性欲がなくなってしまった場合でも、パートナーがそばで寄り添い続け、被害者の安心のために努力し、被害者であるパートナーの心からの安心が得られれば、パートナーへの性欲が戻ってくることがあります)
親密さや 寄り添う喜びを重視すれば、セックスへの欲求も自然と湧いてくることが多いのです。
二人で丁寧に、オープン に話す

性的暴行後に対する反応・ニーズ・欲求・願望についてお互いにオープンにする(出来るかぎり打ち明けて話をする)にすることが、双方にとって重要です。
人によっては、セックスについて話すのが難しいと思うかもしれません。
でも、やってみることが大事です。
気さくに話す雰囲気が作れれば、リラックスする人が多いです。
リラックスすることが、再び親密になるための鍵です。
セックスも出来るようになるかもしれません。
・パートナーの反応や考えを聞いてみる
・(被害後)しばらくの間、どう気遣ってほしいか、パートナー本人に聞いてみる
パートナーが性行為に臨む準備ができた時に 試そうとしてみることで、問題が解決できるかもしれません。
※しかし、性行為のチャレンジは被害者であるパートナーがOKしてくれた時のみにしてください。
その他の方法として、専門家の助けが必要な場合もあります。
助けが必要だと思った場合は、当レイプ被害者センター(レイプクライシスセンター)へご連絡ください。
<性的暴行・性的虐待の後、セックスに対する欲求が増加する>
暴行を受けた後、性欲が増すのも また、正常なことです。
暴力的な体験の後、突然、性欲増進という思いがけない体験をすることがあります。

恐怖、怒り、ショックが、性衝動に繋がることがあるのです。
暴行を受けた後にセックスをしたいと思うことに、罪悪感を感じる人もいるかもしれません。
もし、性的暴行・性的虐待後も、(被害者である)あなたのパートナーが純粋に性欲を感じているのなら、それを抑えようとする必要はありません。
受け入れて、喜んでみることです。
⇊絵を描くの失敗しました💦

しかし、パートナーが被害後に破壊的な行動に移ったり、望まない性的接触を求めてしまう場合もあります。

このような場合、性行為は不適切である可能性があります。
大切なのは、被害者本人が本当に望んでいるかどうかです。
パートナーとして疑問があれば、本人に聞いてみることです。
〔リーフレット⑨ 恋人やグッティ(配偶者)のためのガイド おわり〕
<ここからは、I の説明なので見る必要ありません>
長いです。
Iが作った【グッティ】という言葉の説明
「奥さん」「主人」「妻」「夫」「嫁さん」「かみさん」「旦那」など女卑男尊の序列が多いため、27才のときに考えた言葉です。
(⇈これは結婚した女男の序列を表すもののみ です)
「配偶者」「恋人」も人偏や人が入っているため、I には難しそうです💦
「パートナー」という言葉は、序列なく感じられるので I は使えます。
22歳から、はI 日本語の徹底した女卑男尊の序列に苦しみ過ぎていました。
そこに浸かりきっている日本人が 使っても全く気にしていないこと(序列に無関心でいられること)がを更に苦しめました。
例えば 男性が、「奥さん」と呼ぶことは、「嫁」「かみさん」と呼ぶよりはマシだと考えていたり、女性が「主人」と呼ぶことで男性をたてていると考えていたりすることが恐ろしく、吐き気が止まらないのです。
一般に言う吐き気なんて生易しいのものではなく、脳が拒否反応を続け、吐き気が続いている状態なんです。
22歳から今現在も、その言葉1つ1つによる吐き気は 止まったことがありません。
言葉による女性差別からくる吐き気だけでも、その言葉がフラット(平等)になるまで一生続くということです。

27才の時にピーターラビット(作者が女性なので読むことが出来た)絵本のシリーズにはまり、ジマイマダック(ジマイマという あひる の名前)の話だったと思うのですが
ジマイバの話の横の説明書のほうに、イギリスでは下町の奥さんのことを「goodi」だか「goody」だかと呼ぶと書いてあって、
ここから結婚相手を表す新しい言葉を生み出すことが、ギリギリ可能かもしれないと感じました。
しかし、女性に寄りすぎな言葉だとも感じていましたし、今もそう思っています。
(※"下町の奥さん" は書きたくないのですが、冊子の記述通り書いています。
結局、「配偶者」の事ですと書いても人偏だし、「パートナー」としたら、結婚していない人も含まれるから、説明ひとつ書けないんです💦)
<昔のイギリス英語「goodi」から取ろうと思ったのは、どうしてか>
・お金持ちではなく、むしろ反対の女性を呼びかける表現であること。
・ある程度 年のいった女性に使っていそうだったこと。
・goodという言葉が入っていること。
・当時は女性から派生する言葉があっても良い気がしたため。
・グッディではなく、グッティ(good-ty)(good-ti)とすることで、
違う言葉だということを印象づけること。
・筋力が弱い性別は いつだって差別される危険があるので、
「差別をしてはいけない」という意味を込めて、注意喚起させること。
こんな感じを思い浮かべながら、短絡的に生み出しました。
なぜ短絡的かと申しますと、I には 苦しい言葉が多すぎることと、こういうことに苦しむ人に会ったことがなくて 一人で言葉を生むしかなかったから、一つの言葉に時間が書けられなかったからです。
差別語の羅列だからテレビを捨てたこともありましたし、夢を叶えるために18才から音楽学校に進んだ I でしたが、歌詞のある音楽は聴けなくなったりしました。
今も状況は根本的に変わっていません。
I は被害後、自分のコントロールが全く利かない状態にあり、思い込み過ぎてしまいます。
女性差別語に触れ続ける生活は、耳を切り落としたい衝動、目をくりぬきたい衝動に、駆られ過ぎて疲弊していました。
今もすぐそうなるので、必死に考えないように生きていますが、コントロール出来ないのに考えないようにするなんてことは矛盾していて、すごく厳しいです。
言葉の分からないキューバ大使館に亡命をしたいと言ったこともあります。
キューバを選んだのは、英語圏だと少し意味が分かるので、差別語に耐えられないと前もって分かっていたこと & 共産圏だったことです。
医療水準は、ドクターエックスの大門未知子がキューバのクバナカン医科大学で教わったという設定から分かるように、医学でキューバは随一の水準と本には書かれていました。
(キューバはアメリカの経済制裁によって貧困なのですが、共産圏なので、国が力を入れていることは強いようでした。
例えばバレエやサーカスも強いと当時 書いてありました。
経済制裁により農薬が手に入らないため、オーガニック野菜だという風に、経済制裁によって逆に健康な側面もあるようで、面白いとも思いました。
また、日本でも毎年数名の餓死者が出ますが、アメリカの経済制裁をうけても、
全員が作物を(自宅のベランダなどで)作らなくてはいけないと政府が発表したために、
一人の餓死者も出さなかったという記述や、
政治家はクレジットカードを作ってはいけない(お金を儲けるべきではない)など、
よくある名だけの共産主義とは違う、安心できる点もありました。
現在のキューバの 女性国会議員比率は53.3%です。)

今なら、ドクターエックスの影響で医療が強いと説明できますが、当時は誰がキューバの良さを本気にしたでしょうか。
一般日本人の共産主義への差別感情も強い。
キューバは①医療費無料②教育費無料③食材が配給 です。
この3つが揃うことで、無気力の人間が生きていける可能性があるような気がしました。
キューバ大使館のかたは、キューバから日本に亡命した人はいますが、日本からのキューバへの亡命はないこと、そして、そもそも亡命とはそういうことではない と説明されました。
それでも諦められなかったI は、25才のときにキューバに行き、知らないキューバ人と子どもを作ってキューバで住む資格を得る事が可能か試そうとしました。
一人でキューバに行く計画でしたが、ギリギリに母も行くということになりました。
怖がりなので、1人じゃなくて良かったような半面、自分の短絡的な計画が 一体どうなるのか、無理解の母がいる事によって、余計に困難になる気がしました。
当時、キューバで 福知山線の脱線事故がニュースで報じられていました。
キューバとアメリカの国交は断絶していたので、アメリカからジャマイカを経由してキューバに行きました。
実際に、知らないキューバ人とセックスしました。
I から声をかけたのではなく、道を尋ねた人に「セックスしたい」と言われ、ここで頑張らないとダメだと受けました。
拒否反応が少なめでしたので悪い人ではなさそうでしたが、なんとなく付き合っている女性は いる気がしました。
もちろん、スペイン語は全く分からないので、そんな気がしただけです。
通された家は、その人の家ではなく友達の家な気がしました。
自宅には彼女がいるからではないかという気がしました。
(ただキューバ国民1人あたり離婚回数は3回であることが当時 本に書いてありました。
それに関して、I は ただ悲観的にだけ捉えたわけでなく、女性が離婚しても生きていける環境であるような気もしました)
キューバのその家に網戸はなく、窓は開けっ放しで扇風機を窓方向にあてることで蚊を追い出すという方法で異文化を感じました。
知らない・しかも異国の女性との情事に友達がすぐ部屋を貸してくれることにも、文化の違いを感じました。
(実際には本人の家なのかもしれませんでしたが)
当時、日本で付き合っている人と毎日のようにセックスしても、妊娠の予兆さえなかったのですが、
その蚊が普通に入ってくる土着の感じ(ネイティブのような自然な感じ)、すでにその当時の日本には残っていない生まれたての大地や生まれたての人間という感じに、なぜか1度のセックスで妊娠しそうな気がしました。
(無農薬野菜で生活していたり、みんながソンやサルサを日常的に踊っていること等、精子が強いような印象を受けました)
帰国後、ほんとうに妊娠していたことが分かり、びっくりしました。
一度は そのかたと連絡がつき、「妊娠している」とメールで伝えましたが、今の様な翻訳サイトはなく、
スペイン語ではたして、そんな重大な内容のメールが書けているのか(誰にも相談できなかったから)、そして、そんな こんな重たい内容を見ず知らずの人にぶつけて疲れさせて どうするんだ・・・なによりその人に彼女がいたら、その人を苦しめると考えました。
その後 相手との連絡はすぐ途絶えました。
そこまでして、キューバ人との妊娠を叶えたというのに 結局怖気づき(キューバの男性の協力なければキューバで住むことは叶わなさそうだったので)、
浅草で女性が個人で走破(中絶手術)を行っている噂を聞き、訪ねました。
生まれてくる子がダブル(ハーフの事)で、肌の色だけで差別されることが分かっていて、怖気づいたということもあります。
キューバでなく日本で育てるとしたら、肌の色で差別なんてされないと、そんな風に考える人にはなりたくなかった。
(すでに生まれた人を差別しないように配慮し続けることと、今から生む人には差別がないだろうと考えることは違うと考えていました)
当時付き合っている人にだけ、中絶する前に伝え、大変な精神的ショックを与えました。
しかも、その人に中絶手術代を払ってもらいました。
キューバは上品な国でした。
貧しいのに人に分け与えようとする文化(特に食べ物を与えようとする)がありました。
上品というのは、お金がある事や、権力者が考えたマナーが出来ることではなく、男性が権力を握ろうとせず、地球にも人にも優しい生き方だと感じました。
図らずも、国が貧しい事で人に対してだけではなく、地球にまで優しくなってしまっていました。
今はアメリカとの国交が開いたので、キューバと言えども人間がやることですから、貧しさによる地球環境への負荷の少なさを維持することは難しいのではないかと感じます。
ただ、助け合う姿勢の人口比率は、I が過去訪れた21カ国中では断トツ素晴らしかったです。

I が言葉も分からない国を選ぶのは、差別言葉に耐えられていないからです。
(それでも、I にはその【国】や【人】の女卑男尊度のようなものが色や水蒸気・土埃のような感じの第六感のような感じで、人からも、その土地の空気からも見えており、たとえシンガポールやタイやジャマイカは言葉が分からなくても、ダメでした)
分からない言葉でも、すぐに言葉が分かってくるのが不安で、生きることは到底無理だと感じました。(今もですが)
性別を表す性差別言葉は、とくにI には厳しいです。
実際は1か月もあれば学んでしまうと思え、怯えていました。
だって、旅行1日目で、どこの国でもトイレに行くでしょう?
そしたら、女性・男性という その国の言葉を知ってしまうのですから。
I をアバズレと感じる人もいるのは事実でしょうが(風俗で働く女性にアバズレと感じるなど)、性暴力被害後に女性が一人で思い悩むことを、知ることも必要な気がします。
そっとしておくというのも また、良い方法ではないと知ることです。
本当にこれが、"I 自身がしたいこと" だとか、"ただの性欲や思い込みの酷い人間なだけだ" と 見捨てて良いと お思いでしょうか?
I は音楽の学校の学費を払いながら学生生活をするような、どちらかと言えば 真面目な人間でした。
レイプに遭わなければ、こんなことにならなかったのです。
22才、23才、24才と違う男性にレイプされました。
日本のレイプの捉えかたではなく、世界的なレイプはどういうものか(不同意)という捉え方で話すなら、レイプから付き合った人だっていました。
日本の認識が酷すぎるために、日本のアダルトサイトや風俗のありかたが女性に酷すぎるために、18才ごろのI は、付き合うきっかけがレイプだとは 認識できていなかったのです。
(世界的な認識なら、それはレイプということは I に限らず 日本では よくあることです。
ただ、この3人の加害者はそういうことではなく、日本の認識でレイプです)
仕事の面接で一対一にされ、鍵をかけられ社長に「オッパイ吸いたい」と迫られたこともあります。
また別の会社で、社長に出張と呼び出され、他の従業員に出張と言ってはいけないと言われ、出張中は腕を組むように言われ、ケーキを買ったから部屋にくるようにと言われたこともあります。
その後、すぐ辞めなければならなかった。
日本は こんなことに溢れているのです。
日本人は日本人女性のおかれている状況を知るべきです。
近親者が被害者を そっとしておく前に、
性暴力で一人の女性が孤独に追い込まれ、生き地獄と自殺の選択をいつも迫られているのだということを、人間が知ることです。
病気や天災ではないのです。
「よくあることだ」と、きちんと向き合わない癖をやめることです。
(男性の被害者は、女卑男尊文化により、被害に遭った時に、女性以上の孤独に追い込まれやすいのですが、ここは敢えて女性と書いています。
それは、男尊女卑の文化に 一人一人が向き合い考える必要があるためにです。)
話を戻しますが、
27才で1つ目の言葉を生み出してからは、その応用のように 次々 生み出していったに過ぎません。
1つ1つの言葉を精査して生み出すほどの余裕が、I にはありませんでした。
I の状態は 自殺が真横にある状態で、頽廃的(たいはい てき)・破滅的で、人に伝えるために言葉ひとつひとつ精査するというよりは、まず自分の脳の中でだけ変換して、自分を救うしかなかったのです。
人に言っても 伝わるものではないし(自分で作り出しているから、人に伝わらない & 人に言ってもキチガイ扱いされるため 言えない)、
自分では苦しみながら、話し相手に「旦那さんはお元気ですか?」などと 既成の日本語を使いながら、 I の頭の中で「グッティ」と変換するという風に、避難的に自分で作った言葉を使っており、異常な数の日本語の女卑男尊言葉を、一人で次々に生み出す必要があったのです。
【看護婦】のような男性がその職業になれない言葉を【看護師】とするような改定はあれども、女卑男尊の方の言葉の改定を誰も生み出してはいなかったから。
上野千鶴子そじんの「きっと変えられる性差別語」(1996年出版?)には1980年代だったかと思うんですけど、英語で3500語の性差別語が改定されたと書かれてありました。
たぶんなのですが、れいのるず・秋葉かつえ そじんの著書(本の題名は分かりません💦)
に【英語では、3500語の性差別語が改定された】と先に書かれていたのだと思います。
一応、れいのるず・秋葉かつえ そじんの その記述はこの頃 読みました。

両氏が書いてくださり、I たち日本人が知れることが本当に有難いです。
ただ、I たち日本人に欠けていることは、日本の現状を知ることや世界の現状を知ることが出来ても、新しい言葉が生み出せていないということです。
当時、今の様なインターネットの環境ではなかったため、このような本を大きな書店をめぐり いくつか本を買いましたが、やはり新しい言葉を生む人は見つかりませんでした。
(2001年から、日本語ジェンダー学会というのがあるようですが、I は知りませんでした💦れいのるず秋葉かつえそじんは、そこの会長なのかもしれません。
興味あるので、本を読みたいのですが、昔に書かれたため、高すぎてI には買えません💦すみません)
英語で3500語改定になったということは、他の原語も少なくともその位性差別があるということ。
英語は一人称と二人称が1つという とても貴重な言語です。
一人称・二人称に性差別がないというのが、どれほど素晴らしいかは、きちんと考えた人でないと分かりません。
これは稀に見る凄い事なのです。
ただ、これは実際にはアメリカの女性の取り組みが関係しているようです。
れいのるず・秋葉かつえ そじんの本「おんなと日本語(この本は手ごろなため、買えました💦)」にはアメリカの女性は性差別語をどんどんやめていく・変えていく性質があり、日本語は難しいとありました。
たとえば、アメリカの女性は男性の言葉遣いを自分たちも どんどん使う。
日本の場合は、女性が「僕」と使うと、その女性が ちょっと気の変な人だと捉えられるため、出来ないと書いてありました。
また、それ以前に、日本の一般女性は女性言葉を使うことが 実は女性差別であることに気づけない、
その話し方を変えないと実際には差別が終わらないことに気づいてさえいないのだと書いてあります。
アメリカ人女性は、女性の話し方で生きると、結局は職業などの肝心なところに 実は大きな影響が残ると考え、積極的に性差のある言葉をやめるのだと書いてあります。
例えば、女の子に優しい言葉遣いで接したり、女の子にそういう躾をすることで、
結局女性が男性を叱りずらくなり、上司になりにくかったり、
上司になった時に他の一般女性より性格が悪い女性だと思われたり、
そもそも上の立場で話すことが想像できないから、役職につけることを躊躇されたりということが起こるということです。
また、この本では「私」という言葉は女男のどちらも使える包括的な言葉などではなく、
男性には「僕」「俺」「私」とTPOに合わせた言葉遣いを用意している(場面に合わせた話し方が出来ることを一人前と見なす文化が形成されている)が、
女性にその選択肢を与えなくて良い環境(そもそも仕事という場面を想定していない&「俺」のように上から・もしくは自分視点で話すことを許していない)にあるのだ、だから「私」1つしかないのだと説明しています。
1993年に書かれたこの鋭い視点を日本人自身が知りません。
もしかしたら、アメリカ以前に、英語の歴史の時点(イギリスなど、アメリカよりもっと前の英語という言語が形成される時点)で、このように考える人が多かったために、一人称・二人称に性差別がない可能性があります。
それは、アメリカ人の気質(アメリカという歴史300年程)ぐらいで一人称・二人称が決まるとは思えないからです。
当時れいのるず・秋葉かつえ そじんが書かれた 女性っぽい話し方を続けていれば、結局は女卑男尊構造を変えていけないという【アメリカ人女性の視点】は
"ラディカルフェミニストの行き過ぎた視点" や、"日本という風土には合わない"と受け取る人が大多数の日本人の気質から考えて、一般的に共有されることすら叶わなかったのでしょう。
この時代に大人だった日本の一般人たちは、女卑男尊言葉を無くすアメリカの動きを学ばず、いったいアメリカの何をまねしたのでしょうか。
この問題を日本人ひとりひとりが直視しなければ、未来の女の子が苦しむことを意味するのです。
⇊日本語ジェンダー学会より画像抜粋

ただ、アメリカで3500語改定になっても、MANからWOMAN HUMANが派生していることは確実であり、WOMAN HUMAN MANともに性差別語であることは確実です。
そして、残念ながら三人称での性差別は、英語も多言語同様強いです。
HEからSHEが生まれていること、SONからPERSONが生まれていること、HISからHISTORY(ヒストリー)が生まれていることは確実であり、女性差別です。
HUMAN(人間)という言葉が、MANからの派生語なところが、男性がどれほど、自分中心に世界を見ているかが分かります。
恥ずかしい事ですが、文字を このような過程(男性中心)で作っていない国は今のところ見当たりません。
これからは、男性は(もちろん、他の性別もですが)いつも自戒を続けないと、このような文化を止めることが出来ません。
「神」という概念の詐欺を(イスラム教が生まれた)7世紀ならいざ知らず、2022年でさえ、全く止めることが出来ないように、ひとりひとりが直視しないと止められません。
※神や仏というのは、悪魔、鬼、おばけ、幽霊などと同様 存在しません。
神や仏を使って何かをすることは詐欺です。
それを直視しない人も、詐欺に加担してしまっているのだと認識を変えるべきです。
直視しないことで未来の子どもたちに、その問題を残すのです。
大したことない問題ではなく、神や仏による詐欺は大問題です。
神や仏に加担することは、女性差別なのだと知ることです。
<⇊絵は7世紀、イスラム教を興したモハメドそじん を描いたつもり💦>

むしろ7世紀より、時代が進めば進むほど、争いになった時に地球への負担は大きいと言うのに。
I のような英語初歩でさえ、3500語改定しても、英語の性差別語は いくつかあげることが出来ます。
その国の性差別語に気づかずに生きていられてる人というのは、本当は、それだけ差別をしていても 気づかずに生きられる人間だということなのです。
気づかないからこそ 生きやすいのです。
気づいたあとの、日本社会からの疎外感は凄まじいですから。
このような事しか話せない I は、人から「シツコイ」と、きちがい扱いされます。
実際に言われたこともあります。
でも、本当は放置できるほうが「シツコイ」のです。
放置出来るほうが「差別者」なのです。
この頃は、27才 当時 良い意味を込めて作った言葉の「良い」部分は、「らしさ」の植え付けになってしまうので、ダメなのではないかとも考えています。
女は「良い女」でなくても良いからです。
34才位のとき、強くそう思ったのです。
韓国の留学生が、半年間ホームスティしてくれて、韓国に帰る際に、「良い人になれるように精進しますから、また会いに来ても良いですか」と聞いてこられました。
I は即座に『良い人でなくて良い。悪い人でも良いから、また来てほしい』と答え、
留学生はどういう意味か3秒ほどポカンとしていましたが、その後 心がホカホカしたのが色として見えたんです。
(なぜかI には そういうものが見えるので。
この色が何なのか、ただの幻覚か、他の意味があるのか 分からないんですが)
27才当時 良い意を込めて作った言葉は、
・精神障害者→ハートカラープル(色んな心のカラーがあると言う意味)
・知的障害者→センシプル(色んなセンスがあるという意味)
・身体障害者→プレシャシプル(価値があるという意味)
です。
これらの言葉は、①良い意味を排除した もっと平らな言葉にした方が良いのか、
②いつの時代も差別を受ける存在なのは変わらないから)注意喚起するために良い意味にした27才のとき考えた言葉で良いのか、
はたまた、③良い意味と 支援する必要のある意味の 両方を並列させた言葉にした方が良いのか ・・・悩ましいところです。
この頃は③で 言葉づくりをしていますが(*^-^*)

この頃見たドラマで、『「奥さん」の奥は、そもそもは家を取り仕切っていた主人という意味だった』というようなことを男性が言って、女性が納得するシーンがありました。
仮に そうでもダメだと感じます。
『嫁の語源も、そもそもは「良い女」からきており、女卑男尊言葉ではない』と、ある男性の専門家が言って女性たちが納得していました。
仮に そうでもダメだと感じます。
「かみさん」も立場が上だから、そう呼ぶのだと書いてある本がありました.
仮に そうでもダメだと感じます。
I ごときに この男性専門家たちを論破する力はないけど、
【他の事象が すべて女卑男尊】だというのに、言葉だけ、「女性が実は上だったんだよ、知らないだけなんだよ」などと、どう信じることが出来るというのか。
そのこと自体が女性をより愚弄していることが分からないのだろうか。
〔グッティについて おしまい〕
〔リーフレットの記述で気になったところ〕
<逆にあなたが、セックスをしたくない場合>の中で、
・性的暴行・性的虐待によってパートナーが浮気をしたと感じるという後に、それは(パートナーとして)正常な反応とありましたが、それは違うのではないかと感じました。
・性的暴行・性的虐待を思い出させることを、恐れる
・性的暴行時の画像や映像に悩まされる
は正常な反応だと感じますが、性的暴行にあった被害者の方を浮気をしたと感じてしまうのは、いくら そう感じる人が多かったとしても、正常だと ひとくくりには出来ないと 思いました。
例えば、あなたが窃盗に遭ったのに、「あなたが窃盗団の一味だ」とパートナーに思われることが正常なわけがないはずです。

窃盗ですら それぐらいの理不尽さを感じると言うのに、レイプに遭った被害者の方が浮気をしたと考えられるというところ、
そして、それをレイプクライシスセンターが載せられるところに恐ろしい程の女性蔑視があると気づいていただきたいです。

[ 性的暴行によって被害者が浮気をしたと感じてしまうこともありますが、これは世界に蔓延る女卑男尊社会が生む問題であり、あなた一人の責任ではありません。
ですが、あなたもその社会を見過ごさないために、カウンセリングなどで正しい知識を学ぶ必要があります。]
などと書く必要を感じました。
〔おしまい〕
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