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<さよなら男社会>男性著➂

更新日:2023年2月6日

2022/10/04 挿絵や写真は勝手に入れたもので、本書とは関係ありません。



【『性は感情論で話す』のか】




長らくはインタビュアーの事をしてきた。(略)


セッションを受けたうちの九割が性だ。


彼女たちの多くはセッションがまる前に必ずといっていいほどこう言う。

を話していいかわからない」「申し訳ないが、まとまらない話になると思う」(略)




が発見したのは、彼女たちは独自の文法と語彙を持っていることだ。(略)



「考える」ためには、その前に「思う」があり、さらにその前には「感じる」がある。




いまだに「性は感情論で話す」と言ってのける性に出くわす。(略)


だいたいは彼らの身近にいる性たちの話のまとまりのなさから、そのような判断に至っている。(略)


 


 性の文に養われた感性で「自分がを感じているか」に着目せず、自分の中で慣れ親しんだ、社会の平均的な感覚にって考えているだけかもしれない。



本当はそんなふうに感じていないにもかかわらず、社会的な合意が取れる論理にっているだけではないか。(略)



 性が論理的なのではなく、これまで続いてきた社会において、性の間で通じる話法が「論理的」と評価されているだけ(中略)





⇈FII(Feminism In India・インドのフェミニズム)はスウェーデンの研究所と協力してポッドキャストを提しているようです!




声を聞けないものは、マンスプレイニングをせっせとめてしまう。




マン)+エクスプレイン(説明)から造られた語が意味するのは、「はものを知らないのだから教えてやろう」といった、無邪気にも主導権をとれると思う不遜さだ。(略)



※不遜(ふそん:へりくだる気持ちがないこと。思いあがっていること)




「そうなんですか」「すごいですね」と返すのは「性は共感性が高い」からではなく、逆らうと面倒なのと、そうやって褒めてやらないと ぐずり出すと経験的に知っているからであって、たちの能書きに同意しているわけではない。



 マンスプレイニングでないとすれば、に出会うのは「するにが言いたいのか」といった定番の詰問のフレーズだ。



これは職場に限らない。(略)



社会」であれば、公の別なく関性に影響を与えるからだ。



それにしても なぜそうまでして「したがる」のか(略)



するにが言いたいのか」とは「のわかるように話せ」にほかならなず、いま現に話していることを受け取らない、拒絶のメッセージでしかない。







【克己心という意気込みの表明】



※克己心/こっきしん:自分の欲望をおさえる力・自制心・打ち勝つ力)




小学五年と六年の二回、の意向によりは次世代の経営者を育てるための五日間にわたる研修に参加した。



一日のまりは「おはようございます」と、近くにいたら うるさいだろう としか思えないくらいのきな声で挨拶するように言われ、かしてもらえば、「ありがとうございます」と感謝の言葉を これまた声で すかさず述べることを求められた。(略)




謙虚さを失わせ、鈍感にさせようとしているとしか感じられなかった。


 

 研修内容を簡潔に言えば「やればできる」「感謝」に尽きた。(略)





自宅の書斎は松下電器(現パナソニック)の創者、松下幸之助に関する書籍やビデオの類をはじめ、力と感謝によって利益がもたらされ、それがひいては世の役に立つ、といった「成功の哲学」をうたう本がたくさんあった。(略)




どの本も「商売道」とでも いうほかない、泥臭い精神論をいに語っていた。(略)




 




克己心は勝利と結びついており、(中略)(加筆:テストで)点数が低ければ それだけの理解しかしていないということであり、良いも悪いもない。




間性とは関係ないはずなのだが、(中略)勝利できないとすれば、その間が怠惰であるという考えは疑われにくいものだった。




そして、ここでいう「間」は主に性を表す。



経営者の子ではなかったはずだが、研修にはの子は参加していなかった。(略)





 克己心という意気込みを強調すればするほど、実際の自分とそうなりたい自分との間にズレが生じるはずなのだが、大人たちはそうした感覚のもたらす違和を どうやら問題にしていなかった。



おそらく現実と理想のズレがあったとしても、それは一致できない「心の弱さ」で片づけてしまうのだろう。(略)



 たちの文においては「感覚よりも論理」が重視されているはずだが、ズレという違和感を言葉にしないのは なぜなのだろう。(略)


おそらく違和を感じない、あるいは感じてはならないという感覚の固定を自らに敷いているからだろう。




の抑圧】



の示す守るべき規範からはみ出た場合、あっさり切り捨てられるという予感をふたり(加筆:揃って たくましくした(略)




は長らく 他人に向けてることができなかった。(略)



ることに対して タブーに近いのは「切り捨てられるかもしれない」といった、かつて味わった恐れの感覚をもたらすからだ。



⇈星一:巨の星の親。

コミックなどで、は「頑固一徹」という描き方が多い。






家庭内の三(加筆:)のたち(中略)

に共通していたのは、自分の気持ちや感情を表した経験が乏しいことだ。(略)



は折に触れてこう言った。



「金を稼ぐこと。教養を身につけること。喧嘩では必ず勝つこと。

力なくして尊敬はられないし、力なくして この日本社会を生き抜けない」



(加筆:在日朝鮮人の)がそのようにして力への奉と意志を確立したのは、暮らしが到底成り立たない貧困と 吹きさらしの差別で痛めつけられる経験をしたからだ。



実力で自身の存在を確する以外に この世に身の置き所などない。



にとっては 生き残りをかけた念 であった。(略)




に「力を獲せよ」と命じ続けたのは、の戦いが まだ終わっていないからであり、また自身が幼いころのような 無力な存在ではないことの証明 でもあったのだ。(略)





っていたのは「自分の無力さを武器に 自の関係を操作する」ことにならなかった。



家庭というのものが、親の抱く葛藤のストーリーに子供を巻き込む掛けでしか成り立たないのなら、のために家庭という形態を続けるのだろう。




子供は親を選んで生まれたわけではなく、与えられた環境の中で生きるしかない。



ある意味では 子供は誰もがサバイバーなのかもしれない。(略)




しつけと言われるもの の中身は実は、自分が負ったをつがせること に なっているのではないか。(略)



らの生育環境について思いを馳せると、否応なく浮かび上がるのは、親をはじめとした 上の世代は戦争験者だということだ。(略)




毎日新聞:東京空襲1945年3月10日の写真

午前0時8分から2時間40分にわたり、334機のB29が焼夷弾19万発を投下



生き延びて復員したたちの多くは銃器でを撃ち、銃剣で刺殺した経験を持つ。




生きることは殺すことで、また殺されることに怯え、飢えと病に苦しむ日々でもあった。(略)



誰がいつ死ぬかはわからない。



空襲されることはわかっていても、家屋を捨てて逃げることも許されなかった。(略)




見渡せば焼け野原。


戦争孤児は浮浪児として捨ておかれ、誰もが必死に生きるしかなく、助けは当てにできなかった。





 焼け跡から自分の力で生活を立て直すしかない。



そのハングリーさは(加筆:その後、戦後の日本経済成長につながる)新しい世の中への期待に向かってはいたものの、(中略)飢餓感と切迫感を引き継いだものではなかったようか。



そうであれば、親から子へと伝えられたらしさは、戦体験のトラウマを内包していたのは想に難くない。




⇈<1923年、関東震災朝鮮虐殺事件>


「朝鮮や共産主義者が井戸に毒を入れた」というデマで1000人~6000人のが虐殺された。


戦争とは関係ありませんが、韓国併合は1910年、第二次世界大戦は1939年~なので、忘れないために ここに載せておきます。


小田修市さんのTwitter:TBS報道特集「関東震災報告書」(内閣府まとめ)より写真抜粋




 暴力を振るい、暴力に圧される。


あっけなく死ぬものもいれば、無惨にのたうちまわって死ぬものもいた。


が悲惨のうちに意味なく死んでいく。


そんな光景を見続ければ、いつしか暴力に対して無感覚に陥る。


戦争は終わっても験してしまった感覚は消え去りはしない。(略)






感情表現が苦手、寡黙であったかと思うと激高してすぐに殴る。鳴る。



あれは不器用なのではなく、PTSD(心的外後ストレス障害)なのではないか。




平和の訪れた時代であっても、息子たちはPTSDを起因とする暴力を帯同した振る舞いを性性として受け取ってしまったのではないか。





その性性には戦争という癒えることのない、圧的な暴力の記憶が刻みけられているのではなかったろうか。






【軍隊式身



キリスト教世界における精との対話のための装置だが、日本においては精は世俗化し、向かう先はわからないが「臣民として一生懸命にめる」といった「精主義」に だらくしてしまった。(略)




(加筆:太平洋戦争でアメリカ軍との)的な物量を前にしても敢闘との必勝の「精」が敵を凌駕するはずで、超えられないとすれば、それは精力が足りないからだ。


(※敢闘/かんとう:敢に戦うこと)


こんな風に実情を無視しても、精主義は決して敗北しなかった。




なぜならたちの死は、「玉砕」であって、その精が全うされる限りにおいて敗北が入り込む隙はなかったからだ。


 


 国家が命じる異様なイデオロギーを前にしても、たちはすっかり精によって骨抜きにされていたので、教えられた掟から外れることを恐れ、ただどうしようもない状況に耐え、命令の通りに死ぬ以外に道はなかった。(略)





八十年代のバブル期において、栄養ドリンクのCMは「二十四時間戦えますか」と呼びかけた。


まるで動員であった。



過労死は今般の玉砕だ。





⇈電通過労死事件で被害者と友達のやりとり等:毎日新聞より抜粋





 楽であるはずのスポーツにおいても、かつての戦争と同じく、勝利を度外視した根性と忍耐の精主義が幅をきかせた。(略)




「やればできる」という精神主義がらに与えたのは、命令に順ではあっても、「独自に判断できない怖気づいた身」であった。



それでいて みんなと揃えない身の持ち主を「出る杭」として打つ暴力の使には遠慮がなかった。




【自己否定がもたらす力の感覚】




が思春期の頃、日本の経済は絶調だった。



 当時のの悩みは「則」はいかにして可能か?だった。(略)


(※則/そくてんきょし:則とは、心を捨てて、自然に身をせて生きること。夏目漱石が晩年理想とした心境。)





格闘技をめた。(略)




「随所に主となれば 立処皆真なり」という 禅の教えがある。(略)




常に内省し、自分の心を探り、一挙手一投足にエゴの兆しを感じたらすかさず摘み取る。



そうして「」を捨て去れば 死を恐れることなく ただ生きることができるだろう。




そんな大安心の 境地に 立てるのではないかと思った。(略)





鍛えれば鍛えるほど 余計に怖くなった。




力が増すほどに 恐怖心は増したのは、おそらく力感はあくまで「それっぽい力強さ」であって、本当の強さをもたらさなかったからだ。(略)




「痛いって顔をするな。前へ出ろ」「ほら、気合入れろ」とコーチや練習間から常に叱咤(しった)された。(略)



叱咤の効能は高かった。りがパワーを生むからだ。(略)




いよいよ自らを若無に扱っても構わないという心境だ。(略)



支配され、律的になったことを精神力という(中略)


集団的な無意識と呼ぶべきものに寄りかかり、自分が自分の命を全うしていない。(略)




現状の自分をいかに無視するかが精力の強さの証になる。



を尊ぶものたちは、不を感じる心を弱いとし、不を乗り越えさせようとする。(略)



けれどもらには不はなくてはならないものでもあった。


なぜなら、不を通じて、他人を支配することが可能だからだ。(略)





自身のいと感覚を分離することに戸惑いがなくなる。


「なぜそれをしないといけないのか」と問うことも必ない。



なぜなら目的もわからないままであってもかをってさえいたらいいから。





【『感じる』を軽んじる】




たちはこんなふうにして りと恐怖を 全身に染み渡らせていっている。



不条理な生き方を強いられているのだから、自分たちは「被害者だ」という感覚をもっている。




そこに ありありと リアリティを感じている。




そのため 社会との点で 不当な目にあっている存在がいることに 目が向かない。



たとえ社会の構造が性や障害者、外国、様々なマイノリティに対して差別を生み出す働きをしている様を目に留めても、冷ややかに見ていられる。



それを冷静さだと思えてしまうのは、自分の直面している現実の方が 切実だと感じているからだ。(略)



感じなさと引き換えたちは 念や思想のもたらす強さ を手に入れた。




【読書会での出来事】



ある性がこういった趣旨の発言をした。


「自分がこれまで自然と身につけた考えが性に対して抑圧的ではないかと思うと怖い。

何が問題を その都度 教えて欲しい」



 参加している性の幾かの表情が曇る。(略)





『そうですか。だったら、この小説を百回読めばいいのではないですか』と発言し、


またもう一人が


『どうしていつまでも教えられる立場にいると思えるのですか』とに疑問を呈した。(略)





性が公の場で何か質問なり意見を公表すれば、性たちに


も知らないから教えてやろう」といったられる態度を取られることが多い。(略)




のような「こちらは知らないから教えられて当然」といった弛緩した態度を平然と取ることに対して(中略)(加筆:しく教えて)済ますことなど到底できない(中略)




学ぶということが、他人から 懇切丁寧に教えられて然るべきだ と無邪気にじられてしまうのはなぜだろうか。(略)



⇈日経クロスティックより抜粋




「そこまで目くじらを立てなくても」とか

「せっかくフェミニズムに関心を持っているのに、そんな態度でしてはもったいない」

「だからフェミニストは怖いと思われる」(略)





意見する前にぜひ想してほしい。(略)



あなたの申し出は、彼女たちが まさに感じているりを まったく無視したうえで、こちらの望を理解せよと 一方的に迫っているのだということを。



 ここまで述べれば「だからフェミニストは怖いと思われる」は論外と気づくだろう。(略)





「教えて欲しい」という望が 対話のスタートラインだ と思っている性はに限らずいる。



だが、これこそが、先述した謙虚から程遠い慢な態度なのだ。(略)





「教えて欲しい」の隠された意図は、


「何が問題かもわからないが問題を解決したいと思っている。

だから問題のり処と解き方と教えて欲しい」



にあるとすれば、言外に明らかにしているのは、


「自分の暮らしとは直関係のない性の問題として正確に認識したい」


ということ(中略)





装された弱さ】




上手く立ち回るという性格は も積極的な行動でのみ発揮されるわけではない。



遠慮がちな態度によっても可能なのだ。(略)





謙虚で控えめだと評された自分が隠していた姿だった。(略)



外部に見せる顔が装であると感している。(略)




(加筆:これはきっと、前々から そうだとじ切っていた)「弱いから愛されない」という解釈が誤りだったのだ。(略)



弱いとは ただ弱いというだけで、それも含めて自身であり、その存在自身であり、誰とも交換できない存在であり、望むように愛されなかったとしても 自身が愛しい存在であることに変わりない。(略)





知るべきは、トラウマや葛藤は 解決や克服の対象ではないことだ。



生きることの謎は 生きること自体で解かなくてはならない。





その足取りは まともである必もない。



なじれ、痛み、跛行しながらの道中であっての問題があるだろう。


(※跛行:はこう/ らかの障害により、かばうように歩いたり、足をひきずったりとした歩行のこと)




【整理されない言葉で】




(加筆:性の)感覚的だと言われる話し方は「時系列に置きなおして順序良く話すには膨すぎて、端的にストーリーとして語ることができないくらいの感情と感覚がそこにある」ことを示唆しているのだとは理解している。




そして結論が見えないと言われがちな「まとまらない話」というのは、散漫ではなく「分かりやすい解釈を通じて話すことができない」ことを意味しているのだと思う。



だからが必かというと時間だ。



耳をけるという滞空時間が必なのだ。



たちにはそれが凡長に感じて耐えられない。



なぜだろうか。


ひょっとしたら自分とは異なる存在のありありとした「者性」を感じることを回避したいのではないだろうか。(略)




(加筆:恐怖に打ち勝ち、克服したと実感するたびに、たちは)ふたつのを負った。



ひとつは 痛みと恐怖の験による



もうひとつは 脆い自分を殴りつけ、自分から追放したという 自責の念が生む。(略)




なぜなら たちにはそれを吐露する文がないからだ。(略)




らは長年、幼かった頃の自身をネグレクトしてきた。

(※ネグレクト:無視すること。放置すること。怠ること。)



どのようにらと対話をめればいいだろうか。



うまいコミュニケーションの方法が世間には溢れているが、そんなやり方で彼らは口を開いてくれはしないだろう。




して欲しい。


これまで強くなれと ひっぱたき、そうでなければ 無視してきた子供に いまさら明るく声をかけたり、聴するような態度をとったところで、こちらを用してくれるだろうか。




話しかけても最初は無視されるはずだ。(略)



たった一言の言葉がかけられてこなかった。




それは「どうしたの?」であり「大丈夫?」だ。(略)




全てが変していくというダイナミックな動きが 自分そのものだと思うと、自分の狭さも弱さも それはそれとして受け入れられるのではないだろうか。



変わりゆく自分を歓する態度が当たり前になるといいなと思う。(略)


それをあなたも幸福に感じないだろうか。




<終わり>

⇈日刊ゲンダイに載っている

雄大そじんの写真


【この本の気になる点】


性・性の順になっている。



ここまで考えられているかたが、やはり性・性の順で書いている。


こんな 目で見てすぐわかる並びの卑が解けないことに、卑の根深さを感じる。





上野千鶴そじんは、社会学者としてフェミニズム問題をずっと追っているが、それでも気づくことが出来ません。



I は 上野千鶴そじんに、そう手紙を書いた。


助言されても、その切さに気づくことが出来なければ変えることはできません。


※2を否定したいわけではありません。

むしろ2のファンです。日本の問題です。





黒人差別にきちんと向き合おうとした白人は「BLACK and WHITE」と黒人のほうを先に呼ぶことに配慮しています。



今後、黒人が白人より差別者になることは有り得るので、その場合は黒人の方が白人に配慮し「WHITE and BLACK」を呼ぶことは有り得ます。




しかし、性と性の場合は筋力の問題があり、パートナーを作る上で性と性がペアとなり パートナーとなることは多いので、先に性をもってくることは、性も筋力の弱い方に配慮することになります。


これは、どちらの性別にも配慮していることになるので、毎回 性を先に持ってきて良いということです。






②ナオミ・ウルフ著『ヴァギナ』の本にある

性のオーガズムに関して




この本の中に〔ナオミ・ウルフ著『ヴァギナ』〕を紹介するところがあります。

ワギナはをしているのか?というところで、【性は、性と心の繋がり(性側の性への尊敬・配慮等)がなければ結局は 本当のオーガズムはない】


というような趣旨の内容があります。





I は、最初あまり疑問を感じずに読みました。





このことから、客観的に考えて、I はマジョリティーの価値のヴァギナを持っているのかもしれません。



(しかしながら、有色人種は、白人女性よりはマジョリティ度は劣ります。


白人女性に合わせようと性器の整形や色をピンクしようとする手術や脱色などの行為はどんどん加速しており、この問題は日本人女性もいに抱えています。


生まれたままの性器が、自分自身も含め認められる社会になることを望みます。)



少しでもマジョリティにいると問題に気づくのが、かなり遅れます。




話を戻しますが、この記述は問題がありそうです。






例えば、世界で問題になっているのは、の子の性器を切除する為FGM(Female Genital Mutilation)です


これは性器のクリトリス切除を中心に、小陰唇を切除したり、陰唇を縫合したりするものです。


世界30カ国の少なくとも2億以上の性が経験していると言われます。

その多くは15歳未満で受けさせられています。



I はそのような文に生まれませんでしたが、FGMは オーガズムを感じる感覚を失う可能性がいにあります。


それどころか 命を失っているも、合併症等で苦しんでいるも多くいます。






また、そんな文圏でなくても、そもそもセックスをきでないや、オーガズムを感じないは多くいます。



性は性のオーガズムの満足のために性への理解や配慮をするというのは、実はマイノリティを深くつける可能性があります。




性のオーガズムは関係なく、単に、性は性への理解・配慮・尊敬の姿勢が必だということです。




※ナオミ・ウルフそじんを否定したいわけではありません。


このように書く背景には、性への配慮の姿勢をみせてほしいという願い、これならば分かってくれないだろうかと 試し達成できず、 性が様々なアプローチを続けてくれているということなのです。




③生きることの謎は

生きること自体で解かなくてはならない




この言葉の意味はよく分かる。



生きてでしか解けないし、それで誰かが解いて の世代の誰かを少しでも楽に出来たらと思う。




ただ、この言葉は、自死で亡くなったに対して、非難と受け取られる可能性も残る。



自死は悪くない。



それどころか、その間は理不尽に苦しんだり、多くは苦しみ続けたであるだろう。


そのに対して労り(いたわり)と尊敬の念があってしかるべきだと考えます。




もちろん、この著者・雄大そじんは、そういう意味では書いていないです。




 
 
 

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