[好き]→[敬き]
- hyggeinfo
- 2023年4月9日
- 読了時間: 10分
更新日:2023年4月12日
2023/04/08
「好き」の代わりに、「敬き(すき)」という漢字を考えました。

I(アイ:私と言う意味)は今、42才です。
I はレイプに遭った22才のその日から「女偏」に従属感を感じ、5年かかり27才のときに、やっと いくつかの言葉を作りました。
27才のときに女偏に代わる「花偏」を考えました。
花という漢字を偏のように作ったと言う意味です。
しかし、花偏に変えても解決できない漢字や問題がいくつもありました。
例にあげますと、なぶる(嬲る)の「嬲」、強姦の「姦」、夫婦の「婦」、めおとの「娚」、好きの「好」、あとは、「妾」等にみられる女偏の形をしていない文字です。
これらの字は女偏を花偏に変えたても、他の問題がありました。
1つの文字にいくつもの問題を抱えている文字もあります。
また、男を使った字の勇者の「勇」、とりこの「虜」、しゅうとの「舅」等にも女性差別があります。
I は、少しずつ、気づかなかった文字にも気づいていて、たぶんI が死ぬときでも 気づかない文字や女性差別は沢山あるでしょう。
<「好き」という漢字について>
「女の子」という字を使って、「すき」という意味にした背景には、この漢字が作られたとき、圧倒的なヘテロセクシャル(異性愛者)の男性 主人公 目線が覗え(うかがえ)ます。
ヘテロセクシャルの女性(異性愛の女性)だけでなく、ゲイの男性への配慮もない漢字です。
〔※中国語では「好」という漢字は「良い」という意味があります。
ニイハオ(你好)は你=あなた、好=良い で「Hi」と同じように、おはよう、こんにちは、こんばんは と言う風に いつの挨拶でも使えます。
そもそも女という漢字のなりたちは「女の一番キレイな形は かしずく形である」ということから、その形になっているそうです。
かしずく姿勢が良いと言う価値観や、キレイを求める価値観 は 筋力の強いものから弱い者に与える強要です。
これは法律で整備できたとしても、傀儡政権が起こるとすぐにその法律は覆りますし、家族間や学校などの密室でも すぐに起こります。
私も子どもを何度も たたいたことがあります。(1回怒るときに、パチンとすることで、1回怒るのに何度もたたいた という意味ではありません)
このように強者から弱者への一方的な行いは すぐに起こるのです。
(自分で役場など3か所、子ども叩いたと届け出はしました。)
私も自分が子ども時代に受けてきたことを止められませんが、それでも、これじゃダメなのだと、いつでも自分を批判し続けなければならないのです。
(※子どもが悪くて平手打ちされることは親の愛情だという価値観は、人権を真剣に考えてこなかったことや、躾が出来ていないのは母親の責任であるという日本の悪しき風潮であり、今でもずっと続いています)〕
「女の子」という字を使って、「すき」と読むのは、【好きの要件に相手の性別が女】であることや【その女が若い事(若いこと、幼いこと、自分より未熟な事)に価値を求めています】。
そして最も問題なのは、女性やゲイの男性でさえ「好き」という漢字に、そういう恐ろしい蔑みがあることを気付かないように育て上げられてしまうということなのです。
生まれた時からの洗脳を受け続けているということです。
「好き」という字をみれば、女性やゲイの男性が その文字に【CUTE かわいい】という感覚やと 自分の感情と合いまう感覚が出るほどに、日本人女性も日本人ゲイ男性もまた、日本の男性主人公社会に飼いならされています。
自分が考えた全ての文字に言えることですが、もっと良い字があるか一生かけてゆっくり探そうと思いますが・・・アイデアだけ申しますと、
とりあえず、「敬」というような当て字を「すき」に当てるのはどうかと考えました。
パートナーだけでなく、筋力がない性別や、筋力がないほう、また 女性であっても女性に、そして自分以外の性別にも敬意がなければ 「敬き」は使えないと言う意味です。
漢字をやめて、ひらがなで「すき」としても良いのですが、それでは 他の字の問題 同様に、何を問題にしているか伝わらず、解決には なりません。
たとえば、障害者→「障がい者」とする短絡的な暴論には反吐がでます。
害を【がい】としたところで、少なくとも自分の脳は勝手に前の字を踏襲してしまいます。
私は「これまで男性を好きになったことはない」と言い続けてきました。
自分のその感覚について、どうしてそう感じるのか明確に答えられませんでした。
その1つがここに書いている意味です(これだけではありません)
昔、アセクシャル(無性愛者:誰に対しても性的な関心がないか、極端に少ない)という性的思考があることを知った時、ん?これなのか?と自分の感覚を言い表してくれた言葉が見つかったような嬉しさとともに、でも違う複雑な感覚がありました。
直感に拒否感がありました。
42歳の私から見てみると、レイプにあった何年かはセックスに対して、かなり苦しい感覚になりましたが、それでもパートナーとのセックスが途切れたことはなかったし、私という性暴力被害者の場合は、客観的に見て男性とのセックスがかなり好きな方だし、今まで付き合ってきた男性たちからセックスを求められることは、求められない時とは雲泥の差で嬉しかった。
今はセックスを求められなくても相手に愛情がある人もいるとは認識できるし、別にふふであっても「他でセックス相手を見つける」とパートナーと話し合いがついていればよいと思う。
それに、べつにパートナー相手に正直に話をしなくても良いと思う。
とくにDV男性パートナーやDV男性ふふ相手がいたとして、他に男性が出来て、その人とセックスしているということをDV男性ふふ相手にしなければいけないなんて恐ろしい。
問題が問題なだけに、それまでDV男性でなかったとしても、DVになる危険は高いわけだし。 カップルやふふでもセックスが嫌なパートナーだっているし、パートナー以外にセックスパートナーがいても、それはセックスが嫌な方だけでなく、セックスが好きな性暴力被害者は普通だ。望まない性暴力が問題なはずで、今までの司法のほうがどうかしてる。
「レイプに遭ったのに、なぜセックスできるのですか?」という司法の在り方やこんな考え方をもつ人は、被害者をどれほど傷つけているだろう。
レイプに遭ってから10年程はセックスに対して苦しかったけれど、今は自分はセックスが好きだなと思う。
そして、たぶん性的思考の対象者は女性ではなく男性だ。
なんどレズビアンになりたいと望んでもなれなかった。
なのに「好き」ではない。
そんな矛盾をいつも抱えている。
<ふふ の説明>
①夫婦ではなく、ふふとすることでどちらの性が先にきているか分からないようにした。
②同性愛パートナーを排除する酷い言葉である。
➂女性はカタカナを長い間使わせてもらえなかった歴史から、敢えて ひらがな表記にすることで過去をいつでも思いかえすようにした。
今まで、男性自身が ‶この文字は女性蔑視の文字であり、使い続けることは、改善の努力を続けてこなかった分、昔よりも酷いことなのだ″と考えた人を見たことがありません。
そのような方々は本当に【女性】を【すき】だったでしょうか?
男性がしてきたことは、この女性蔑視の漢字【好き】という言葉そのものではなかったでしょうか?
私は筋力のない性別に配慮すること、敬意をはらうことが【敬き】なのだと考えます。
これは例えば、日本ではレズビアンのカップルやふふよりヘテロ(異性愛)のほうが収入が得やすい。
パートナーの1人が男性だからだ。
(うちは妻の方が稼いでいるぞという話をしているのではなく、パーセンテージの話です)
ヘテロカップル(異性愛カップル)よりゲイカップルの方より収入がある可能性が高いこと。
またゲイカップルはクィア権利先進国では妊娠期間がなく養子縁組で子どもをもてることから、より収入が安定することへの注意も含まれます。
クィア(性的マイノリティの総称)はマジョリティ(異性愛者等)に認知してほしいことから、プライドパレードのように手を組んで、大きなパレードにしてインパクトを得ようとします。認知させることは大事な事です。
しかし、またMtF(トランス女性:生まれた時、男性器があるが、女性)やゲイのかた、クロスドレッサーの男性(自分と反対の性別の服装を着る方で男性)トランスヴェスサイトの男性(自分と反対の性別の服装を着ることで性的興奮がある方で男性)は、同じマイノリティだという仲間意識になってしまって、自分が女性蔑視をしている観点が抜けがちです。
女性自身にも言えることですが、全ての人が自分自身が女性蔑視・女性差別からは逃れられないはずです。
女性自身も、例えば男性でフェミニストという人なども、仲間という感覚になってしまって、【自分自身が女性蔑視・女性差別をしていること】に目を向けられないことがあります。
私は22歳から27歳までは、「女男」を使い、「お母さんとお父さん」というような女性を先に並びにすることを心に決めていました。
しかし、他の女性が「男女」という言葉を使うことは、男性が「男女」を使う事とは反対で、女性が自分とは違う性を優先している言葉なのだから良いとしていました。
しかし28歳の時、それでは女性自身も女性蔑視をしていることに視点が向けられていないことに気づいたのです。
女性自身もまた、女性差別をしているという自己批判が出来ていないことが分かったのです。
また、「女男」にしても「男女」という言葉にしても、クエスチョニング(自己の ジェンダー や性的指向 を探していたり、分からなかったり、自分を表す言葉がない人々を指す)のかた等への配慮がないか、または排除している言葉であることが分かりました。
日本では、トランスジェンダーのかた(特にMtF:トランスジェンダー女性)が【女性のことがよく分かる代弁者】のような感じでメディアに出ることがあります。
私も良くしてしまう事なのですが、「女性はこう」「男性はこう」とは一括りに話せないはずなのです。
トランスジェンダー女性の一部のかたは「女のことはよく分かってる」というような観点で話し、女性をバカにするような発言が続いていますが、それは女性蔑視であると まずは知ることが大切です。
そういう時は、女性はトランスジェンダーのかたを女性だと感じているからか許してしまう傾向にあるのですが、なんとなく話者は自分達トランス女性とヘテロ女性を分けて、ヘテロ女性をいじる様な口ぶりがあります。
例えば、「女はブランドもんに弱いし、高収入の男性に群がるからな」というような言いかたをするときがあります。
このような時、話者がトランス女性をそこに含めずにヘテロ女性を罵倒していると感じる時があるのです。
これは全ての人に言えることです。
それは本人であるシスジェンダー女性(生まれた時に割り当てられた性別と自分の性自認が一致する人。同性愛であるレズビアン女性 と マジョリティ女性どちらもシスジェンダー女性である)にも言えることだという意味です。
自分がどんな女性蔑視発言をしているか、また女性蔑視発言にはどんな言葉があったかを1つでも多く思い出し、自己批判やそういう意識が出来ていなかった自分をいつでも思い出す努力が必要なのです。
「敬き」は、相手への敬意、特に女性への敬意がないかたは「敬き」という感覚はないということで良いと思います。
ゲイの男性であっても、女性への敬意がないかたは「敬き」という漢字ではなく、ひらがなの「すき」で良いと感じます。
私に男性を「好き」という感覚がないのは当たりまえだったわけです。
「好き」という字を見て、女性蔑視があると見抜けないかたが洗脳されているのであり、そちらに問題があります。
文字を作ったかただけでの問題だけでなく、当然 その文字による洗脳を受けているほうにも問題があります。
それは洗脳を受けることで、自分もまた女性蔑視を続けることになるからです。
例えば、ドイツでは日本と違い 第二次世界大戦でいくら上官に命令されたとしても、ジェノサイド(大量虐殺)等を行った人物は、今 裁かれています。
命令を受けたり洗脳を受けたからといって、その行為をして良いということにならないということ。
洗脳を受けている者よりも、それによって被害者が苦しむという理不尽は避ける。洗脳を受けたほうに過失があり、洗脳を受けたことにより加害行為をしたら、被害者を生んだのだから、当然 加害者であるということなのです。
「敬き」という漢字があっていると申しているのではありません。
これは昨日急に思い浮かんだだけで、より良い字があれば、すぐその字に変えていきます。
男性にこのような視点が形成され、いつも気をつけるように努力するとき、私は男性を「敬き」になるでしょう。
2023年4月9日
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