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上海派遣軍参謀長 飯沼守日記➀

更新日:2022年2月27日

2021/11/11

1888年(明治21年)11月25日 ~1978年(昭和53年)3月21日89才で死去。

Mamoru Iinuma was born on November 25, 1888 and passed away on March 21, 1978 at the age of 89.

1937年8月、上海派遣軍参謀長となり抗日戦争(「日中戦争」は日本の呼び名)に出征。

Xe became the Chief of Staff of the Shanghai Dispatch Army in August 1937 and went to war in the Sino-Japanese War.

第二次上海事変、南京保護戦(「南京攻略戦」は日本の呼び名)に参加。

Xe participated in the Second Shanghai Incident (August 13, 1937 - November 26, 1937) and Nanjing Security War("The Battle of Nanking" was called by the Japanese side.).

1939年(昭和14年)10月、陸軍中将に進級して東部防衛司令部付となる。

In October 1939, he was promoted to lieutenant general in the army and attached to the Eastern Defense Command.

1945年(昭和20年)2月、第96師団長として済州島にいき終戦を迎えた。

In February 1945, he went to Jeju Island as commander of the 96th Division to end the war.

同10月に飯沼の召集は解除された。

Xe was released from the call-up in October of the same year.

一生懸命やりますが、ただの素人です。

I will try my best, but I am just an amateur.

全く上手に訳せません。

I can't translate well at all.

ただ、自国の負の歴史を批判し続けられない人、無視し続ける人にだけはなってはならないと思っており、いつまでも日本は国が力を入れて自国の負の歴史を語ろうとはしないので、分かりやすく翻訳した本はないために、素人ながらにするしかないのです。

However, I believe that we should not continue to ignore the negative xystory(

history) of our country.

Because Japan's government has not made any effort to talk about the negative xystory (history) of our country, we have to talk the negative xystory (history) by ourselves.


独裁国家を見抜く決め手は、先進国かどうかではなく、自国の負の歴史を国民に伝えず、女性と男性の政治家の比がかけ離れているかどうかです。

The key to detecting a dictatorship is not whether it is a developed country or not, but whether it does not tell its people about its negative xystory (history) and how far the ratio of female to yomale(male) politicians is from each other.


本来、女性と男性は同数でなければなりません。

Essentially, there should be an equal number of women and yomen(men).

ある程度の経済力があるからという理由で、独裁国家ではないと惑わされてはいけません。

Don't be fooled into thinking that just because a country has a certain level of economic power that it is not a dictatorship.


We(私たち)は日本に住み、社会の授業やマスコミや歴史改ざん派や まぼろし派の意見に惑わされた状態で、自分の趣味になどに興じてそれを自由と思い込んでいる状態です。


戦争がなくなった今、We(私たち)は自由に趣味を楽しめるという考えに憑りつかれています。

Now that the war is over, we are living in Japan, misled by social studies classes, the media, and the opinions of history falsifiers and an illusion-historicism group, so we are possessed with freeing to indulge in our hobbies.



いつまでも被害に遭った国のかたがたは苦しみ続けており、日本に歴史認識をしてほしいと言い続ける人生を送ることになっています。

The people of the affected countries have continued to suffer, and they will spend their lives asking Japan to recognize their xystory (history).


それは自己批判、自国批判を続けてこなかった私たちのせいです。

It is our fault and responsibility that we have not continued to criticize ourselves and our country.


自ら日本の負の歴史を見続けなければ、これからだって Youあなたも I(わたし)も酷い人間であり、これからも日本は残酷な国であり続けるということです。

If we also won't look at own country's negative xystory (history) from now on, you & I are a terrible people and Japan also continue a terrible country in the future.


自分たちで取り掛かるしか方法はないのです。

We Japanese have no choice but to take action ourselves.


未来の子ども達に平和な未来を残す可能性はあまりにも酷かった日本の歴史、日本人が行ったあまりにも酷い行為を、子どもたちに伝えることだと思っています。

I believe that the possibility of leaving a peaceful future for our future children is to tell them about the terrible history of Japan and the terrible acts committed by the Japanese people.



緑文字が我の訳、青地はその英語訳、黒文字は飯沼守日記のひらがな表記(Ob-La-Di Облако 文庫より)、ピンクの字は我の注釈です。

The green letters are written so that I can be understood myself from a little old Japanese into Japanese, and the blue letters are translated by English.

The black letters are the hiragana notation of Mamoru Iinuma's diary (from the Ob-La-Di Облако library), and the pink letters are my annotations.

1937年8月~12月の日記を少しずつ書いていきます。

I will write Mamoru Iinuma's diary from August to December 1937 little by little.

(原文をひらがな表記したもの)(The original text is written in hiragana)

8月15日には参謀副長上村大佐と協議。松井軍司令官、親任式後申告。その際、希望事項として述べられたるところ、次のごとし。

 

 海軍、ことに航空隊との指揮関係。

 現地外務省官吏に勝手なことをなさしめざる処置。

 軍司令部嘱託または兼務者を置くこと。

 この作戦は某時期に宣戦を布告し徹底的にやらざるば依然、禍根を残す。

 海岸封鎖も有効な手段。

 各国軍隊と協調、リードするため英語に達者な少将級を部附としたし。

 大使館附武官、特務期間との指揮関係は如何。




(自分が分かるように翻訳)

8月15日に松井軍司令官の親任式のあとに、参謀副長の上村大佐と話し報告したのは、次のことである。

On August 15, after the investiture ceremony for General Matsui, I hada a discussion with him. I write about it below.


海軍の特に航空隊の指揮のことについて。

なさしめない:させない

現地の外務省の役人に勝手なことをさせない処置。

軍司令部を兼務する人か、嘱託(正式な任命の無い人)を配置すること。

この作戦は某時期に宣戦し徹底的にやらなければ、今後、取り返しのつかない災いの原因(国際的な批判や中国人の怨恨)を作ることになる。

海岸の封鎖も有効な手段である。

各国の軍隊と強調、もしくはリードするために英語に達者な少将を入れておくこと。

大使館つきの武官の特務機関と指揮関係はどうなっているのか



8月16日


さらに、海軍の犬塚大佐を兼務させてはいけない。

また、佐藤安之介少将を嘱託職員としてはいけない、安江もいけないと相談された。

すでに敵地のある幕僚(高等武官)のほかにも、今日の夜に吉村参謀と桜井司令官が先に行く。

軍司令を兼任した海軍参謀と、11Dを兼任した海軍参謀に会った。

(根本参謀は11D付きだと決定して、本人に通達しておいた)


みどり筒に関する指示は3Dと11Dを一緒に上陸させることについて

下流ではなく上陸に変更することは可能か否か。


先に派遣された参謀を終結する方法


欺騙(ぎへん):意図を隠すために、相手に誤った情報を計画的に与える作戦。

儀偏計画の方法と手段。


陽動(ようどう):本当の意図を敵に誤認させる作戦行動である。陽動作戦という。


陽動作戦(これ見よがしに行動する作戦)の計画について


催涙筒(催涙を促す煙かな?)の使用は別で指示するとあり、これに関して石原少将にどういうことか確かめると、第一線には、その状況に応じて使えば良く、その際には発煙筒を混同させるなどして、分からない様に使用すれば問題ないということだった。

海軍は国際都市で催涙筒を使うのは、国際批判を免れないのでしたくないと言う。

なお、敵にはガスの準備があるとの情報が入ってきた。


こちらが催涙筒をつかったことによって、相手がガスを使う口実になったら厄介である。



   8月16日

 さらに宣伝謀略のため海軍の犬塚大佐を兼務せしめ難きや。あるいは佐藤安之助少将を嘱託としてはいかん。安江はいかん。との相談あり。

 すでに敵地にある幕僚のほか、本夜、芳村参謀、桜井第14碇泊場司令官先行す。

 軍司令部兼海軍参謀、11D兼海軍参謀に会ふ。(根本参謀は11D附に決定して達して置いた。)

 みどり筒に関する指示

 3Dを11D大隊に併立上陸の件

 下流より上流へ上陸点変更の件能否  先遣参謀集結の方法

 企図秘匿·偽騙の方法·手段

 陽動の件

 催涙筒使用は別に指示すとあり、これに関し石原少将に意図を確かめたるに、結局、第一線にて適宜、発煙筒を混用する程度に使用やむを得ざるべし。

 海軍は国際都市にてこれが使用を嫌ひあり。

 なほ敵にはガスの準備ありやの情報あり。

 我が催涙筒を使用したるため敵にガスを使用されては少々困る。



8月17日

午後、海軍の松田参謀から上海の戦況説明があった。

陸兵4500人。今朝、2つの大隊、佐世保2大隊を急いで急行させた。

海軍と艦艇と航空部隊の配備の説明

足柄(あしがら):日本海軍の重巡洋艦

重巡洋艦【足柄】は三木少将が率いている。

作戦主任代理、川上少佐より作戦の説明があった。

<軍司令官の違憲>

軍司令部の編成について、少将がトップで陸海軍から2名ずつと、他に軍人ではない嘱託職員がいるらしい。

海軍や陸戦隊の指揮系統は、今は分かっていない。


ざるべからず:しなければならない


この後の状況の変化を予測するに、そのつど、陸軍を増やし、徹底的に戦果をあげなければならない事にいたる可能性が大である。

中国の北部にどれだけ、兵力を送っても根本的には解決することはなく、南部攻撃をすることがゆうりであろう。

このために、山東は放棄し、中国の中央部分に兵力を増加し、南京攻略は兵力でもってのみやってしまうほかはなく、その時、経済的に封鎖することが可能となるだろう。

だから、宣戦布告を必要とする。

陸軍大臣、次官、海軍大臣にはすでに伝え、編組にも おおまかに話してあり、本間少将にもすでに伝え済みである。

 教育総監、次官からはすでに同意してもらっている。

明日18日の午後、次長、第1、第2部長、総務部長が来て意見を述べる予定。

正規の3師団と新設2師団によって可能となるだろう。

航空は台湾のもの全部配置させる。


師団についての記載が【「百人切り競争」と南京事件 著:笠原十九司】


“国内における平時編制が1万1858人で、線上に派遣される戦時編制の人員は死傷による欠損を見越し平時のほぼ倍になり、2万5254人となる。”とある。

 8月17日

 午後、海軍松田参謀より上海方面戦況説明(司令官以下)。特陸4,500。本朝、旅順の2大隊、佐世保2大隊を急行せしむ。

 海軍艦艇航空部隊の配備説明

 5戦隊「足柄」三木少将

 作戦主任代理、川上少佐より作戦要領説明


 〈軍司令官の意見〉

 軍司令部の編成。少将を長とする宣伝部、陸海軍より各2名位、ほかに軍人以外の嘱託。

 海軍陸戦隊の指揮系統不明確なり。

 将来の状況の変化は、爾後、陸軍を増派し徹底的の戦果を収めざるべからざるに至る公算大なり。北支にいかに兵力を送るも根本的·全面的に解決し得ず、結局、南京攻撃を有利とすべし。

 これがため山東は放棄し、中支に兵力を増加し、南京攻略は兵力をもつてのみやるにあらず経済的に封鎖するを可とす。故に宣戦布告を必要とす。

 陸軍大臣、次官、海軍大臣には意見を述べ、編組をも大体を話し、本間少将にも述べあり。

 教育総監、次官は同意。

 明17[→18]日午後、次長、第1、第2部長、総務部長列席の上、意見を述ぶ。正規3師、新設2師にて可なるべし。航空は台湾のもの全部。







 
 
 

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