大切な人を支えるために出来ること・リーフレット⑧2022/06/01
- hyggeinfo
- 2022年5月31日
- 読了時間: 8分
更新日:2023年7月31日
※勝手に挿絵を入れます(デンマークのサイトと絵や写真は関係ありません)。
<(自分の子が)性的暴行を受けたあとの子育て方法>
性的暴行・性的虐待を受けた直後、多くの親が子どもを特に保護する必要があります。
もしかしたら、親として、あなたも そう(今こそ保護しなければと)感じるかもしれません。
しかし、お子さまは(ティーネージャ以上だった場合)、被害を受けていない同年代の子 同様に、若者として人生を歩むための空間(環境)が与えられることが重要です。
(被害に遭っていない子と親の距離感 が、被害に遭った子と親の関係にも 同じように与えられることが、大切なのです)
<子どもの選択肢を受け止める>
親からの援助を受け入れない子 (人) もいます。

我が子が 自分(親)からの援助を受け入れない場合、あなたは心配になるかもしれませんよね。
我が子を助けたいと思うことは自然なことだからです。
あなたは また、"子ども自身が必要だと感じている援助を 今後 受けられるのかどうか" を 心配になることもあるでしょう。
あなたのお子さまは、仲の良い友達に 助けてもらいたいと考えるかもしれません。
あなたは親として、子どもの選択を受け入れなければなりません

思春期には、しばしば 友達が重要な役割を果たすものなのです。
<物理的接触(※側にいること)>
親として、"(物理的に)子どものそば に居たい" という 気持ちが 強いかたは多いです。
ただ、お子さまが ティーンエイジャーや大人の場合には、物理的な接触をすること(直接的に側に居ること)は、被害者本人にとって、また、あなたにとっても とても 気まずいものになるかもしれないと 知っていてください。
なにしろ、あなたの子は もう小さい子ではない のです。
被害者にとって、あなたの要望や 被害者への身体的なケアは、(幼い子に対する)ハグの様な感覚になるかも しれないということなのです。
難しい事なのですけれども、【サポートしながら手放すということ】なのです。
それは、【子どもに選択肢を与えること】なのです。
〔被害者の父 ピーターの言葉〕
私は娘の近くにいつも居たかったのですが、彼女には 独りになる時間も また 必要だったのです。
・・・とは言え、まだ、私の近くに居るのですが。
<18歳 未満の若者への情報提供義務>
(デンマークでは、) レイプ被害者センターは、18歳未満の人の情報を提供する義務があります。

つまり、(デンマークでは)センターに来る18歳未満の若者全員について、市町村に通知しなければならないのです。
すべての青少年が必要な支援を受けられるようにするため、自治体に通知しなければならないことが決められています。
市町村が通知を受けると、市町村のソーシャルワーカーの1人が、青少年とその両親に連絡を取ります。
家族とソーシャルワーカーで、当レイプ被害者センター(CfV)が提供する治療以上のサポートが必要であるかどうか、一緒に検討します。
自分のケース(事件)で、市町村への通知することに関して、何か疑問や聞きたいことがあるかたは、どうぞ気楽に、当レイプ被害者センターの電話番号○○○○ー△△△△におかけください。
また、保護者のかたには 必ず、当レイプ被害者センターから通知書のコピーをお渡し致します。
報告義務はデンマーク社会福祉法第 153 条に記載されています。
この法律の目的は、若者が適切な援助を受けられるようにすること、そして その若者を支援することです。
〔リーフレット⑧ おわり〕
I の感想(ここからは読む必要はありません)
<記述で違うと感じたところ>
被害者が親などの援助を拒否した時に、本当に被害者の要望に沿うことが答え だとは思えないところ。
「そっとしておいてあげよう」という安易な対処は 被害者にバレています。
そっとしてあげることと、勉強不足は、全く意味が違います。
性犯罪は、世界中に蔓延る女卑男尊という大きな原因から生まれたものであり、そっとしておいて済む問題ではないからです。
男性の性犯罪被害者の場合であっても、同じ原因が根本にあると I は考えています。
「そっとしておいてあげよう」という安易な対処は 、放置してはいけない女卑男尊という問題を、放置できる価値観の持ち主であると 浮き上がらせてしまい、被害者が 心の中で、その人間を信用できなくなってしまう可能性が高い気がします。
被害者にとって、数少ない理解者・支援者が、余計に いないと感じさせることに繋ってしまいます。
I は、【性犯罪は "孤独の犯罪"だ 】と持論を持っています。
性暴力そのものよりも、信頼できる人が1人もいないという孤独のほうが、より危ないと思っています。
被害者の孤独を深めてしまう可能性のある方法であったり、被害者の孤独を救える方法でないなら、見直す必要があると I は考えます。
リーフレットにも書いてあるように、親や家族に話したくない被害者も もちろんいます。
しかし、それでも、親や家族、知人が 【性犯罪(性暴力・性的虐待)とはどういうものか】について、被害者以上に学び続けることが必要だと考えます。
話したくない被害者の親や家族のかたは、自分が得た知識や、考えたことを被害者本人にアピールすることを控えたら良いと Iは思います。
話さなくとも、被害者は 親や家族が自分から その知識を知ろうとしているかどうか、分かっています。
なぜ 被害者が話さなくとも分かるのか、少し 説明をします。
どの国でも、その国 独自の概念・価値観があります。
残念ながら 世界中どの国であっても、女性や あらゆるマイノリティに対して寛容ではありません。
これは時代を経たとしても、いつの時代に生まれたとしても、自分で深く学ぶしか 得られないものだと I は考えます。
今後、教育として 学校で学ぶことは必須だと感じますが、それでも、自分で深く学ばないと実態が見えてこないと思います。
それは福祉国家の北欧であったとしても。
福祉国家に住んでいたとしても、人権を大切にしている国に住んでいたとしても、人間なのですから、そこに差別や偏見はあるものだと考えなければなりません。
差別や偏見がないと考えるほうが間違っています。
誰でも、I のなかにも、確実に差別はあるものなのです。
自分もまた差別者なのだと、きちんと認めることが必要なのです。
北欧は国旗から分かるように、キリスト教のかたが多いです。
特定の宗教が多くなれば、他の宗教の方や無神論者に差別があると考えるほうが、差別がないと考えるよりは 良いと I は考えます。
また、人間社会では、他の生物に対して間違った価値観があると危機感があるほうが、まともだと I は考えます。
例えば、【人間が動物や虫を 勝手に「ペット」と称して、飼うことを、愛だとすることは身勝手なことだと認めること】が、人間にとって 必要なのです。
また 人間は、農作物などに大量に発生した虫を大量に殺しても、"自分は大量殺害者なのだ" とは感じにくいものです。
【害虫】などと、人間都合で言葉を作り出します。
(ペットに対する)【愛】も(虫などに対する)【殺戮】も、どちらも恐ろしい人間目線です。
(I 自身、虫が大量に発生した時は、大量殺害者になります。今までも何度か大量殺害者になりました。それを 少なくとも認めることくらいはしたい)
性犯罪について深く知識をつけていこうと努力を続ければ、自ずと固定概念は崩され、黙っていても 今までの その人の雰囲気では なくなります。
それが、被害者をホッとさせる空間づくりに繋がるのです。
被害後、被害者は、生きていくことが難しい困難が、ビックリするほど沢山待ちうけますが、周囲の者が性犯罪への知識を深めれば、被害者を そのまま受け入れるしかないことが分かります。
周囲の方が、今までの概念を崩すしか 道は残されていないのです。
被害者のほうを治そうとしても、治せることは 限られていて(もしくは1つもない)、トラウマや障害を 家族や知人が、被害者を そのまま受け入れるしかないのです。
性犯罪とは、弱い者いじめの最たるものなので、性犯罪を深く知ろうとすれば、結果的にその人の人生は、【様々な問題の実態を知る作業】になります。
それは、その人(被害者の家族や知人など)が多様性や弱者について考えることであり、自分が知らないことが多いと認める作業です。

その謙虚な取り組みこそが、被害者が生きていくために 必要な【薄氷の道】づくり になるのです。
薄い氷の道(薄氷)かもしれないけれども、それさえない状態(周囲の理解のない状態)なのです。
まずは薄氷の道を周囲の人が (もしくは人間 皆で知恵を集めて)、一生をかけて 作ることが求められているのです。
〔I の感想 おしまい〕
<T.K(男性)のコメント>
特に日本は 性差別が酷いし、無関心も酷い。
自分や大多数に合わなければ、協力どころか刃を向けてくると思う。
被害者よりサポートする方が上ということが、日本では常識になってしまっている。
警察、精神科、薬局、法に関わる人もそうだった。
それは教育の捻じれと関係していると感じる。
次につながる感覚や考えを、年配者が受け入れることが出来ていない。
そして、そういう人たちが権力を持って、悪い牽引をしてしまっている。
そして、お年寄りが多いのが日本である。
政治どころか企業も学校も変わりようがない。
もしかしたら、孫が殺されても 常識を疑えない お年寄りが大多数なのではないだろうか と思えてくる。
生きやすい時代が訪れていると言うよりは、現在は より孤独な時代だと感じる。
考えがあったり、メッセージがある人が何かを発信していて素晴らしいのだが、現実としては何も考えない大多数が大波として押し寄せてくる。
日本は今までの日本を諦めるしかない。
日本の在り方を失敗だったと認めるしかない。
もちろん、世界レベルで失敗だっと思うのだけれど。
戦争なり、地球破壊であったり、人間が間違ってるって、人間みんなが反省する側面が必ず必要なのだ。
Comentários