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女偏問題➀従属感➁「好き」の違和感

  • きう
  • 2021年11月7日
  • 読了時間: 5分

更新日:2022年2月27日

2021/11/07

女偏に比べて、男偏と言う字は少ないと思ってきた。



女偏の字は「委威姻嫁嫌娯好婚妻始姉姿嫉女嬢娠姓妥嫡妬奴如妊婆媒妃姫媛婦妨妹妙婿娘妄妖娃姶姐姥嬰姦嬉妓姑妾娼嬬娩姪婁姜媚嫐・・・」もっともっとある。


男が入っている字は「勇虜舅嬲嫐」を思い浮かべるけど、男偏とは言わないようだ。



小さい時から女偏に対して違和感があった。


➀つめは従属感があるということ。


サブの様な気がするのだ。

姻嫁好婚妻姉妃姫婦妹婿娘嬢姐姦妓姑妾娼嬬媚・・・


この様な漢字から主役ではないという雰囲気をずっと感じて来た。



➁つ目は「好き」という漢字について。


女で異性の好きな人が出来た時、異性の男の子を相手にしているのに、「○○が好き」などと「女の子」で成り立っている漢字を書かないといけない。



これは、【恋愛相手】や【性的思考】を女の子として作られた字で、女性の立場を無視した差別語であることが分かる。


恋を知らない時から、「好き」という漢字を刷り込まれていく。




また、「好き嫌い」などは恋愛に限らず食物の「好き嫌い」のような形で使うので、「好き嫌い」という言葉は幼少期からありふれている。


その様々な「好き」「嫌い」の物事にも女偏を使って書く恐ろしい違和感。



恋愛をする頃には、この字を使って異性の「男の子を好き」と言っても違和感がない様に、知らず知らずのうちに男尊女卑の社会に浸かってしまうのだ。





「そんな権幕にならなくても」という人間は男性だけじゃなく、女性にもクィアにもいると思う。



仮に、シスジェンダ―でヘテロセクシャルの男性(男性で異性愛者という多数派)で「〇〇が男子き」と書いて、「自分が女性を男子き」と表すのを刷り込まれて、自分が初恋を迎えるときには違和感を感じずにいて、その他大勢の人間から「そんな権幕にならなくても」と聞くことが普通だとしたら、怖くならないだろうか?




実際このことだけではなく、生活の隅々に渡っている女性差別から、ほとんどの女性が立ち向かう気力を奪われており、この「好き」差別を直視しようと思えない。



仮にそんな気がしてきても、全ての日本人(自分以外の女性も皆)がこの漢字で恋愛を表現しているし、今更 自分一人がそんなことを言いだしても途方もないと思えて 従うしかなく、また我から気力が一生削がれていく。




今まで この問題を口にする人間を聞いたことがない様に、今から生まれる女の子たちも、男性の異性愛者という大多数を主体とした性的思考に合わせた漢字で自分の性的思考を語らなければいけない大差別に当たり前に気づく子が出てくる。


その女の子の気力の奪われるさま、一生誰にも伝わらないさま を考えれば、この問題を特に男性が問題提起し考える必要がある。



これは、「すき」と読める別の漢字を考えたら解決する問題でないのかな?

という結論が男性達の中に思い浮かぶ。




この問題解決時に、理解できるのは【➁好き の違和感】問題だけでなく【➀従属感】の問題もではなかろうか?




大勢の男性が「男の子」と書き、「俺(僕、私)は〇〇男子き」と書いた時に違和感があるように、大勢の女性が「女の子」と書き「私は○○が好き」と表現するのに何かの違和感を一生涯抱えて、知らず知らずのうちにサブとして、男性の付属物として生きることにならされていく。


この仕組みづくり(知らず知らずのうちに女性は男性の付属物、完全体ではないと言わずに知らせる仕組みづくり)が過去の為政者(だいたい平安時代と推測する)の男性は巧みで狡猾だ。


それは神や仏が2021年になっても。


「それは詐欺、神や仏はいません」とは言えず、むしろ平安時代などよりも、特定の宗教に入信し、神や仏を実在すると信じ込む人間の多さが物語る。


いつまでも【実在の加害者無きように見える、女性差別に知らず知らずのうちに浸かりつかされ続ける 女性差別をし続けているのに、自分が加害者だと気付かずに手にし続けられる果実】を 既得権の男性は むさぼり食べ続ける。





女性の気力の削がれは、「好き」という言葉に➀の問題も強く包括し説明しやすい言葉だ。


「好き」という漢字は従っている、主役ではない従属感が強く表れ、他の女偏の漢字より 我以外の人に【従属感】を説明しやすい。



だから、「好き」という漢字を今見て、従属感が何となくにでも感じられた人は、その後で女偏のありとあらゆる漢字を見てみてほしい。


「委威姻嫁嫌娯好婚妻始姉姿嫉女嬢娠姓妥嫡妬奴如妊婆媒妃姫媛婦妨妹妙婿娘妄妖娃姶姐姥嬰姦嬉妓姑妾娼嬬娩姪婁姜媚嫐・・・」




これら全部から、従属感を感じ取り 気力を奪われ続ける苦しみが少し分かるのではなかろうか。




もしも、その女偏から受ける従属感を、多くの女の子は生まれながらにして漬かり続けられていたとしたらどうか?




例えば、一度もその違和感を口にした自分以外の女の子や女性がいなかったとき、その女性が どれほど一生を孤独に無気力に生きるだろうか?



例えば、その従属感をその女の子や女性が口にしたときに、他の女性が「そんな従属感は感じたことがないけど?」と言った時に、どれほどの無気力感で一生生きることになるだろうか。


話した1人目の女性でさえ感じていないのならば、問題ではないような気もしてくるし、どう考えても、女性の多数決の意見だとも思えない。




このような【女性差別】【マイノリティ差別】問題の解決は「1 is 2 many」「1 is too many」「一人いれば多すぎる」が鍵となる。



その他の女性全てが「そんなこと感じない」と言っても、その女性1人「この女性差別が苦しい」と言うのならば、取り組まないといけないということ。


他の大勢の女性を理由にして(多数決を理由にして)、そこにある女性差別を放置してはいけないということだ。



我は20代の時に、この「女偏」に変わる「花偏」を考えた。


しかし、長年奇妙に感じて来た次の問題がドンッ と40才になった我にぶち当たることになった。



それは、次の【女偏問題➂多数の男偏の出現】に書く。











⇈花偏の提案


















 
 
 

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