毎日抜く白髪 A Grey Hair I pull out everyday.
- きう
- 2021年11月26日
- 読了時間: 6分
更新日:2022年2月27日
2021/11/26
毎日のように白髪を抜いていると言うのに、喧嘩をした昨日、頭の分け目に一気に4本出ていた。
精神疾患のあるI(私)が人ともめると、それは大事になる。
喧嘩に疲れて 白髪を抜く気力など もてない。
毎日毎日、鏡に映る白髪は気が滅入る。

I(私)は以前から “その人の人生の中で、年を取るたびに、その人はステキな人になっていっている”という風に日本の一般感覚がなれば良いなぁと思ってきた。
日本では、I(私)も含め、男性にさえ「若く見えますね~」と気遣う。
会った人がI(私)に気を遣って「若く見えますね~」と言ってくれる。
複雑な気持ちになる。
【年を取る度にステキな人になっていってると思いたい】と心の底から思っているのに、生まれてから ずっと、若さに女性の価値を置く日本社会に浸かって生きて来たから、“若い”と言われたら、勝手に心が喜んでしまうし、“年取ってると思われたら、学歴のないI(私)には貴重な水商売などの仕事はあるのかな”と怯えたりする。
一気に一日で4本白髪が増えていることを見た時、愕然としたことと同時に、“あ!そうか”とアイデアが浮かんだ。
白髪の分、その人は年齢を重ねているのであり、経験値が増えているのだと思えたら良いな
経験が積まれることで、尊敬をしてもらえる社会ならば、白髪(年をとる象徴)はカッコイイ 魅力だと思う。
酷いことをして年を重ねる人もいるけれど、たいていの人はそうじゃない。
真面目に生きて来た人や、人のために尽くしてきた人は、その経験が積まれるほど、年をとるほど尊敬されて良い。
もちろん、生まれたばかりで20歳まで生きられないと寿命宣告をされる人が沢山いる。
母親のお腹の中でエイズをもらって生まれてくる赤ちゃんも沢山いる。
アフリカではvirgin(処女)と性交したらエイズが治ると迷信が信じられ、5才~10才(時には3才)の女の子がレイプに遭い、エイズをうつされ、その子たちの子宮は破裂しているケースが多い。
長生き出来ない人より、年が高い方が良いと言っているわけでなく、その人の人生の中で1分前の自分より、今の自分の方が、苦しい経験も含んだ経験値を積んだ人間であるという価値で良いのだと思う。1分後の自分は、今の自分より経験値を積んだ人間だということ。
その人の人生の中で、年を得るごとに喜びのある社会認識にならないと幸せにはならない。
若さに(特に女性の若さに)価値を見出すなど、恐ろしい差別社会である。
そのような差別国は世界では実は数少ない。
20才~35才くらいに女性の価値を置くなどは、日本は世界一の寿命国だというのに(2021年の女性の平均寿命は87.74才)女性に酷すぎる。
20才~35才くらいが女性の価値というのは、男性の性欲の対象を女の価値とする明らかな女性蔑視である。
女性の一生にわたる幸せに価値を置いた方が、男性にとってこそ 大切なことです。
もし、20才~35才の男性しか価値がないとを日本人女性の多くが言っていたら、81.64才が平均寿命の男性は、35才から離れれば離れるほど、生き辛く価値のないものになっていきます。
I(私)は、女の若さに価値がある社会なんて、男尊女卑社会の刷り込みだと分かっているのに、悲しいかな、毎日鏡の前に立ち、自分で白髪を抜いています。
ただの刷り込みに いつもいつも緩やかに苦しめられ、1日1日 価値(20才~35才)から遠ざかっていくのです。
(※フランスでは、いち早く女性が年をとるほどに、異性からも魅力的であるとされる社会を築いており、今 世界的に これは当たり前、普通のこととなっています。)
評価の低い国のみが、女性に若さや美・可愛らしさを求めています。
女性の若さ・美・可愛らしさに価値を置く国の男性の評価は かなり低いです。
女性蔑視に気づかなかったり、先ほどの水商売やセックスワーカーに代表される女性が商品の職業が多かったりする国の評価が低いのは 当然だからです。
1970年代初め「クオータ制」を活用した世界初の政治家ベリット・オース(ノルウェー人)は「支配者が使う5つの手口」という有名な講演以外にも、「男性議員、とりわけ年をとった男性議員は、その地位を明け渡そうとしない」と言いました。
これは、1970年のノルウェーのことなのですが、今の日本の政治かもしれません。
50年前のノルウェーのような現在の日本は、2021年のジェンダーギャップ順位120位/156か国、女性議員割合(岸田政権時)170位です。
⇊ベリット・オース
高齢な人ばかりが居て良い訳がない。
男性ばかりが居て良い訳がない。
だから、各年代に何人ずつなれると きちんと定数を分けることが必要。
高齢の人があまりにも多く政治家になるべきでもないし、また、高齢の人が政治にいない方が良い訳でもない。
今の日本の政治システムは、ハンディの無い人で、国籍が日本人のみ政治家になり(世界では自国民でない人が政治家に慣れる国は多い)、いつまでもその特権にしがみついている。
⇊現・内閣官僚(岸田内閣)女性3人/25人中(12%が女性、88%が男性)


⇊現・副大臣名簿(岸田内閣)女性1人/26人中(3.8%が女性、96.15%が男性)

⇊現・政務官 女性4人/28人中(14.28%性、85.71%が男性)

+内閣総理大臣補佐官 女性1人/4人中(25%が女性、75%が男性)
【合計】岸田内閣の主要メンバー女性9人/83人中(10.84%が女性、89.15%が男性)
<提案>
例えば衆議院議員500人という人数のなかで、女性200人(4割)、クィア100人(2割)男性200(人)と、パラリンピックやオリンピックの様に性別で定数を決めておいて、その中で年齢でも定数で分けておく。
クイアの定員が100だとして、10台未満5人、10代10人、20代15人、30代15人、40代15人、50代15人、60代15人、70代5人、80代3人、90代2人などとしておき、ハンディがあったり、何かしら生き辛い人が政治家になれるように、その中でも出来る限り定数化しておく。
健常者枠は少なくて良いと思う。
どう考えても、他の仕事にも付けるのは健常者の方だし、世の中を苦しい人が生きられる様に変えるには当事者の意見が必要だから。
もちろん、健常者がいない方が良いのではなく、必ず健常者の定数をつくり、多様性をはかる。
身体的ハンディのない健常者は、クィア10人、女性・男性20人位ずつくらいで十分だと思う。
(クィアの割合が2割と人口比に比べ多くしているのは、ノンバイナリーも含めているからです。)
定数が埋まらなかった場合は、その席を空席にしておき、誰かが名乗りをあげた時点で、任期途中でも なれることとする。
高齢の方々が、その席にしがみつくことも避けなければならないし、年をとると 病気など 生き辛さが次々に押し寄せるのだから、中途障害にあう人間の体の仕組みにあった生きやすい国作りに、とっても必要な方々でもある。
高齢者が権力に しがみつくのではなく、人間と言う老化する宿命の生物が、生きやすい社会作りに貢献したら良いのだと思う。
仮に、上の案なら、女性・クィア・男性の60才以上の衆議院議員の合計は500人中 75人ということになり、決して少なくもないし、多すぎでもない。
と、またこんな話になっちゃったのだけど、言いたいことは、“白髪まじりや、オール白髪がステキだ”と自分一人でも思っていけたら良いな。
認知症も含めた経験を積んでいるという事で良い。
年をとるたびに、さまざまな経験を積んできた人なのであって、年寄り差別を認識しなければならない。
特に、年齢や若さや美を女性に紐づけない未来を、We(私たち)は新しく作らないといけない。
若い時も素敵。白髪まじりやオール白髪は、そこから経験をつけて、もっと素敵という認識なら、女性の一生が、落ち着いてゆっくり幸せを作っていけると思う。
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