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<男性の非暴力宣言>男性著②

更新日:2022年10月4日

1991年にマイケルカウフマン(カナダ)等がめたホワイトリボンキャンペーン(WRC)は、この本が書かれた2015年には60か国以上に広がっています。


⇊マイケル・カウフマン

2022年3月3日ひなまつり🎎の今日、実はホワイトリボンキャンペーン中です。

「#ホワイトリボンフェス2022」「#ホワイトリボンラン2022」のハッシュタグをつけてInstagramに投稿するだけで、協賛企業からケニアの性へ100円寄付されます。


<ホワイトリボンキャンペーンWRCは どのようにして起こったか>

カナダで起こったモントリオール理工科大学虐殺事件がきっかけ。



1989年12月6日に起こったマルク・レピーヌ(25歳性)によるフェミサイド


マルク・レピーヌは大学の教室に入り、子学生と子学生とに分け、フェミニズムに反対し、部屋にいた9人の性を銃撃(うち6名は死亡)。


別教室へ移動しながら、性ばかりを銃撃。

14人の性を殺害、10人の性・4人の性が怪我、その20分後、マルク・レピーヌは銃自殺した。


フェミサイドとは、性または少女を標的とした殺人の意味。

1976年フェミニストであるダイアナ・ラッセル教授により普及した言葉。

⇊ダイアナ・ラッセルそじん


ダイアナ・ラッセルの2011年の動画を見ると、『37年前(1974年)にこのフェミサイドと言う言葉を初めて聞いた』と言っています。

ダイアナ・ラッセルは、この動画の時点(11年前)で40年レイプや近親レイプにたずさわり、5回逮捕されたと紹介されています。

(たぶん被害者側に立ち続けたとか、フェミニストとしての活動で逮捕されているのだと思います。)

この動画の翻訳もいつかしたいと思います。

事件2年後、カナダ国会は12月6日を女性に対する暴力の追悼と行動のための国家的記念日に制定。


その後、マイケル・カウフマン、ジャック・レイトン、ロン・スルーサーがホワイトリボンキャンペーン(WRC)の基本原則の声明を発表。


① ターゲットは「性に暴力をふるわない性」

② 性に対する暴力をなくす取り組みの主流化

③ 啓発にとどまらないアクション

④ 社会的・政治的立場を超えた「大同団結」

⑤ 性の主体的な取り組み

⑥ 脱中心主義


性への暴力に反対の声を上げる責任が性のほうにこそある。

性はホワイトリボンを身に着けようと呼びかけた。


WRCの署名

I swear [pleage] never to commit, excuse [condone] or remain silent about (men's) violence against [towards] women (in all its forms).

(は決して性に暴力を振るわないこと、性への暴力を許さないこと、性への暴力について黙っていないことを誓う)


カナダ国内で約10万人の性がホワイトリボンを身につけ、性に対する暴力をなくすための議論に加わる。


毎年、11月25日(性への暴力撲滅国際Day)から12月6日までホワイトリボンキャンペーンが開催されている。





イギリスでは、2015年9月15日時点で2万2000人以上、

オーストラリアでは16万9000人以上の性が署名。


オーストラリア元首相ケビン・ラッドはじめ多くの芸能人やプロスポーツ選手らが署名している。


マスキュリン(らしい)スポーツの競技団体が敢えてホワイトリボンキャンペーンをしているところも魅力!!



ニュージーランドでは「ホワイトリボン・ライド」というホワイトリボンをつけたライダーたちが250CC以上のバイクで数日から10日かけて大部隊でツーリングする取り組みがある。

自分の住んでいる地域のみを一緒に走るだけでも良い。


2014年にサイトが開設されていると確認されている国は以下10か国で、そのうち署名人数の開示があるのは、オーストラリア・イギリスの2か国のみ。


①カナダ②オーストラリア③オーストリア④ブラジル⑤デンマーク⑥フィンランド⑦アイルランド⑧イタリア⑨ニュージーランド⑩イギリス


日本もこの後、加わることになりますが、なかなか他国のようには発展してはいないようです。


日本では被害性のほうに重点が置かれた取り組みばかりですが、WRCの視点は、マジョリティである性(暴力をふるわない性)が性に対する暴力について、声をあげないなら消極的加害者なのだというところにあります。



WRC(マイケルカウフマン等)は各国の取り組みは、各国の事情を知った当事国の性に任せるとしています。




日本では、著者の一人・多賀太そじん(関西大学文学部教授)が2014年WRCK設立の中心になり、「目線」で「性から性への非暴力のメッセージを伝える」という基本方針のもと、2つのキーワードを掲げた。



1「非暴力系子」

性への暴力を決して振るわない。

性への暴力は社会全体で解決すべき問題であることを理解する。

性への暴力をなくすために責任をもって行動する。

性への暴力をなくすために活動している女性たちの力になる。




2「フェアメン(このメン卑言葉なので、勝手に脳内でフェアヨーメンと変換して、本を読みました。)」



①相手の話を最後まで聴いて受け止める。

②自分がうまくいかないことを相手のせいにしない。

③相手のNOを受け入れることができる。

嫉妬を理由に相手の行動や人間関係を束縛しない。

⑤相手の仕事、やりたいことを応援する。

⑥相手を自分のモノだと思わない。

⑦相手の友人、家族、人間関係を大切にする。

⑧自分のことを最優先にしない。

⑨大事なことは相手と一緒に話し合って決める。

⑩お互いの違いを認め、自分の考えを無理に押しつけたりしない。

⑪家事や子育てをともに担う(その予定)

⑫固定的ならしさや性の役割を押しつけない。



<平成19年>


<平成30年>

配偶者間での暴力被害などは圧倒的に性が被害者ですが、なんと、殺人に限り、40%を超すぐらい性が加害者です!


本書には2014年(平成26年)の資料が載っており、41.5%(65件)が性が加害者、58.6%が性が加害者(92件)でした。


<本文>

おそらくは、この性被害者の中には、相当数、日常的なDV加害者のたちが含まれているように思われる。

殴られ続けた性たちが、耐えられなくなった状況の下で、たちが寝ている隙等をねらって殺人に及ぶというケースも、少なからずあるはずだ。


DVの日常化は、性たちに深い心の傷を生み出し、ときには生きる希望さえ奪ってしまう。


他方で、DVは、ときに加害者であるたちに残酷な結果をもたらすこともある。


<本書に書かれた小巻健そじん(著者3人ではない)のコラムより>


自分はDVや暴力とは無縁な人生を歩いてきました。

家族内ではとりたてて暴力もなく、知人・友人が暴力にあう現場にも遭遇することなかったそんな私が、なぜホワイトリボン運動に関わったのか?


きっかけはDV被害者シェルターの運営に関わっている知人性の存在でした。


(略)


シェルターに保護される被害者は暴力によって精神的健康を損ない、あわせて子までもが心に深い傷を負っていることが多く、支援スタッフは非番の日でも夜間でも、緊急で駆けつけることが日常だとか。


時には加害者のが近づいてくるなど警察対応が必な危険が迫る場合もあるそうで、DV被害者支援がどれだけ大変なことかということを彼女の話から知りました。


また、ハードな支援活動に加え、民間で運営しているそのシェルターでは、さらに運営資金の苦労が加わり、支援活動の合間を縫って、助成金申請や寄付集めなど資金調達のため奔走しておられます。


なぜ、これだけの負担を彼女たちが負わないといけないのでしょうか。


これらの支援活動が必要な原因の大本にあるのは「性の暴力」です。


性が必死でDV被害者支援活動をされていることに対し、われわれ性には性の問題として解決しないといけないことがあるのではないか、という意識が芽生えました。



(略)



「暴力に対して性別は関係ない」と考えてきましたが、パートナー間における暴力の多くが性から性への暴力である実態を知るにつれ、性固有の問題としてこれは無視することができないと思うようになりました。


(略)


<本書に書かれた小倉祐輔そじん(著者3人ではない)のコラムより>


ホワイトリボンのいう「非暴力系」子。一度聞いただけでは、分かったようでよく分からない。


(略)


たぶん多くの子(わたしも含め)が、「非暴力系」として過ごしていると思っている。

でも、「暴力」って殴る蹴るだけじゃないらしい。


自分の思いどおりの行動が返ってこないとイラっとして鳴ったり、ムシしたり、オンナらしくオレのこと優先しろ!言うこと聞けよ!とか。子育て・介護は性のやることって思ってしまうこと。


それも「暴力」なんだ。


非暴力系子は性のあらゆる暴力を振るわない、許さない、沈黙しない


(略)


らしさ」に追われ、社会から外れ、そこから落ちるといたぶられ、その挙句に性への「暴力」・・・これって、子も「暴力」にさらされているから?


対等な関係をつむげないのって、自分が「らしさ」から落ち、「負ける」ことがだからかもしれない。

でも自分は「らしさ」だけで生きているんじゃない、そこから落ちたって、また別の自分を立てればいい。


だから、いつも誰とでもフェアで対等なコミュニケーションが出来れば、もう「暴力」に走らなくてもいいのかもしれない。


問われているのは、フェアな子、フェアメン(フェアヨーメン)なんだ。


(略)



兵庫県は森田ゆりそじん(子どもへの暴力防止プログラムCAPの伝道師。未も少しだけなのですが、レイプ被害者として相談し、話してもらったことがあります)がいたり、ウィメンズネット・こうべがあったり、素晴らしい取り組みの県だと思われます。

WRCKの主な活動も兵庫県から起こっているようです。

性の非暴力宣言 著:多賀 太・伊藤 公雄 ・藤 哲也 2015/11/6>


著者3名

多賀太 日本の教育社会学者、関西大学文学部教授 一般社団法人ホワイトリボンキャンペーン・ジャパン共同代表。



伊藤公雄 日本の社会学者。大阪大学名誉教授、京都大学名誉教授。京都産業大学教授。性学の研究で知られる。一般社団法人ホワイトリボンキャンペーン・ジャパン共同代表。京都文化創生機構副理事長


(写真は平成30年12月7日(金)に「女性の活躍促進に向けた取組み—アイスランドの経験から学ぶ」で伊藤そじんが、アイルランドの専門家とのディスカッションで「日本における男性・男子にとってのジェンダー平等」や日本でのホワイトリボンキャンペーンを話している写真)




安藤哲也 ファザーリング・ジャパン代表。一般社団法人ホワイトリボンキャンペーン・ジャパン共同代表。


2006年11月、親の子育て支援・自立支援事業を展開するNPO・ファザーリング・ジャパンを立ち上げ、代表を務めている



⇊「パパの出張 絵本おはなし会本」の藤そじん


⇊アマゾンでのコメント6件のうち否定的意見だった日本でよく聞きがちな2件を載せます。


この手のタイプは相手にしなくても良いというのは、WRC的な回答ではないですね。


性として性にきちんと反論するためのトレーニングに使えそうなので、自分なりに何と返答するか考えてみようじゃないか。

<コメント①>5つ星のうち1


性に対する暴力をなくそう


性はもともと性に暴力を振るうことは少ない。

性から性に対する暴力が深刻化してますね。

性の暴力は卑劣で陰湿だから冤罪のでっち上げにも厳しく対応する必があります。

性の非暴力意識を高めることが世界平和につながるのではないでしょうか。


<コメント②>5つ星のうち1


理想は正しいのかもしれませんが。


本書は、性の性に対する暴力を止めるために性全般が責任を負うべきだと書いていますが、どうも胸にすとんと落ちてこない。

この地球上全ての性の暴力に、全ての性が責任を負うべきだというのはやはり無理があるのではないか。


確かに見て見ぬふりのいじめ黙認体質と同じ様なものだと言われれば、そういう感じもしますが、こういう畳みかけ方をすると少し話が大きくなりすぎて、かなり違和感がある。本書で取り上げられている事件は、確かに性蔑視の典型みたいな犯人による事ですが、この世の中の全ての犯罪がそういうものではないと思います。


例えば、本書で取り上げられている北米においても、犯罪は性差別に起因するものだけでなく、人種差別、宗教差別、貧困からくるものなど様々。

少なくとも、我々日本人は、北米の人種差別や、宗教差別などに関しては、見て見ぬふりを決め込んできたのではないか。


アメリカのトランプ政権が、移民政策であれだけメディアや司法と揉めるのも、逆に言えば、ああいった国々が、今まで、散々移民や難民を受け入れ、汗を流し力をしてきた事への反動ともとれる。

他方、日本は、移民はおろか、難民さえも受け入れず、多様性とは程遠い世界で生きてきた。


見て見ぬふりがけしからんと言うなら、それこそが問題ではないのか。そう考えると、特定のケースだけを取り上げて、性全員が性蔑視の暴力に全体で責任を負うべきだというロジックは、それ自体が、まさに性全般に対する逆差別以外の何ものでもないと思います。



 
 
 

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